ざくら》が見事に咲き、右手の桜の垣根の向うは広々とした荒地になっている。ここの荒地には、山芋《やまいも》が出来るので、よく家中で大変なカッコウをして掘りに出た。
 誰も彼もいなくなったので、庭をつくる事も厭になり、いまは雑草と月見草のカッキョにまかせている。時々|空家《あきや》ではないかと聞きに来る人がある。私は上落合三輪の家で、家へ来る青年がつくってくれたカマボコ板の表札をここでも玄関へ釘つけて、それで平気でいるのだ。大分古びていい色になったが、子の字が下に書けなくなってしまって小さく書いてあるのが気にかかって仕方がない。

 また、夏になった。もう前ほど女流のひとたちも来なくなった。城夏子《じょうなつこ》さんや辻山さんがやって来る位で、男のひとたちの来客が多い。山田清三郎《やまだせいざぶろう》さんもこの辺では古い住みてだし、村山知義《むらやまともよし》さんも古い一人だ。また、私の家の上の方には川口軌外《かわぐちきがい》氏のアトリエもあって、一、二度訪ねて来られた。素朴なひとで、長い間外国にいた人とも思えないほど、しっとりと日本風に落ちついた人である。風評で有名な中村恒子さんもうちの近くの二階部屋を借りて絵を描いているし、有望な絵描きの一人に入れていい独立の今西忠通君も、私の白い玄関に百号の入選画をかけてくれて、相変らず飯屋《めしや》の払いに困っている。
 家の前は道をはさんで線路になっている。その線路はどの辺まで伸びて行っているのか、こんなに長くいて沼袋までしか行った事がないので知らない。朝々窓から覗《のぞ》いていると、近郊ピクニックの小学生たちの白い帽子が、電車の窓いっぱいに覗いて走って行く。夕方になると疲れたようなピクニック帰りが、また、いっぱい電車に群れて都会の方へ帰って行った。
 私の仲のいい友達が、中井の駅をまるで露西亜《ロシア》の小駅のようだと云ったが、雨の日や、お天気のいい夕方などは、低い線路添いの木柵に凭れて、上落合や下落合の神《かみ》さんたちや奥さんたちが、誰かを迎いに出ている。駅の前は広々としていて、白い自働電話があり、自働電話の前には、前大詩人の奥さんであったひとがワゴンと云う小さなカフェーを開いている。
 自働電話に添って下へ降りると落合川だ。嵐の日などは、よくここが切れて、遠まわりしなければ帰れなかったのだが、この川を半分防岸工事をして
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