なくなってしまった。
私の隣りがダンスホール、その隣りが、派出婦会をやっている家でダブリュ商会と云うのだけれど、ダブリュ商会なんてちょっと変った名前だ。その次が通りを一つ越して武藤大将邸なのだが、お葬式のある日にどこからか花輪を間違えて私の家へ持ち込んで来た。おおかた拓務省の自動車や武藤家の自動車がうちの前まで並んでいたからであろう。遊びに来ていた母親は、大変エンギがよいと云って喜んでいた。町内の人が国旗を出して欲しいと云うので、国旗を買いに行くやらして、ひっそりと同じ町内の御不幸を哀悼《あいとう》していたのに、武藤邸の近くで磯節か何かのラヂオが鳴っているのには愕《おどろ》いてしまった。
武藤邸の前にはアルプスと云う小カフェーがあって、小さい女給さんが、武藤邸の電信柱に凭《もた》れて、よく涼みながら煙草《たばこ》を吸っている。
武藤邸の白い長い石崖《いしがけ》を出はずれると、山の方へ上って行く誰にもそんなに知られていない石の段々がある。実に静かで長い段々なので、私は月のいい夜など、この石の段々へ犬を連れて涼みに行く。昼間見てもいい石の段々だ。
この家へ越して来た頃、駐在にいい巡査氏が居た。もうかなりな年配なひとだが、道で子供たちがキャッチボールかなんぞしていると、自分も青年のようにその中へ這入っていって子供たちに人気を呼んでいた。何か名句を一ツ書いて戴けませんかと、戸籍《こせき》しらべの折、頼まれたのだが、そのままになって、その巡査氏も何時《いつ》からかもう変ってしまった。――越して来た頃、石《いし》の巻《まき》の女でおきみと云う非常に美しい女を女中に使っていた。二十一歳で本を読むことがきらいであったが、眼のキリっとした娘で、髪の毛が実に黒かった。二ヶ月位して里へ帰って行ったが、すぐ地震に見舞われて、生きているのか死んだのか、今だに見当がつかない。この女の姉は芸者をしていた。家に居る間じゅう、きだての優しい娘で帰って行ってからも折にふれては「おきみはどうしたかしら」と私たちの口に出て来た。
いまは十五歳になる信州から来た女中がいる。これも百姓の娘できだてのいい娘《こ》だ。国への音信に、「隣りが武藤大将様のお邸《やしき》で、お葬式はお祭よりもにぎやかでありました」とハガキに書き送っていた。
原稿用紙も、やっぱり中井の駅の近くの文房具屋でこの頃は千枚ずつと
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