山形屋へ泊つたこともいゝではありませんかと、いまは肥料倉庫のやうなさいはて[#「さいはて」に傍点]の舊驛を眼前にして、私は啄木の唄をまるで自らの唄のやうにくちずさんでゐた。
「さいはての驛に降り立ち雪あかり、淋しき町に歩ゆみ入りにき」さいはて[#「さいはて」に傍点]の驛の前は道が泥々してゐて、雪の頃のすがれたやうな風景を眼の裏に思ひ出す事もできた。

 啄木の唄つた女のひとは昔小奴と云つたが、いまは近江じん[#「近江じん」に傍点]さんと云つて、角大と云ふ宿屋を營なんでゐた。新しくて大きい旅館で、舊市街と新市街の間のやうなところにあつた。おじんさんは四十五歳だと云つてゐた。小奴と云ふ女のひとを現在眼の前にすると、啄木もそんなに老けてはゐない年頃だつたと思ふ。生きてゐたら、たしか五十歳位ででもあらう。誰でもひとゝほりは聞くであらう啄木との情話よりも、啄木が優しい人であつたと云ふ、何でもない※[#「插」のつくりの縦画が下に突き出す、第4水準2−13−28]話を、私は大事にきいた。おじんさんは大柄で骨ばつた人であつたが、世の常の宿屋の主のやうにぎすぎすしたところがなかつた。美しい娘さんの寫眞を
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