持つて來て、亡くなつてしまつたのだと嘆いてゐたけれど、誰でもが聞くだらう啄木の思ひ出話よりも、娘の話をするおじんさんは、何となく私には好ましかつた。
 私は此宿屋で、釧路の町の色々な人達に遇つた。先住民族遺跡を研究してゐる吉田仁磨と云ふひとや、野尻と云ふ歌よみの人や、その他にも藤井と云ふ婦人記者の人なぞ、さうして樣々な町の歴史を此熱心な人達から聞いたのであつたが、雜記帳を持つて筆記をして歩くやうな氣持ちになる事を恐れ、私は一人で此地方の湖めぐりをしようと思ひたつた。晝飯をおじんさんに馳走になり、早々旅館を辭して、阿寒《あかん》地帶の中の一番氣むづかしい湖へコースをとつた。

 釧路の町は快晴で、天氣がいゝのか霧笛も鳴つてゐない。
 途中、啄木が勤めてゐたと云ふ釧路新聞社の前をとほつた。赤いレンガ建で、明治四十年頃の建物として相當新らしかつたのであらうが、いまは古色蒼然としてしまつて、何となくおさなびてゐてよかつた。
 霧笛を鳴らしてゐる知人岬と云ふ所にも行つてみた。岬の丘に登ると、太平洋炭鑛埋立地が南の防波堤に續き、まるで海を二ツに切つたやうに見える。樺太《からふと》でオホーツクの灰色の海ばかり見てゐた私には、釧路の海はるり色に光つてゐて天氣のいゝせいか一望にして港の中が眼にはいつて來る。
 朱い煙突を持つた浚渫船が起重機から泥を吐きながら、まるで大雨のやうな音をたてゝ動いてゐた。内地の風景と違つてどこかに底冷たさがある。
 港には船が澤山はいつてゐた。厚岸《あつけし》の海では海軍の演習があると云ふので此釧路の海も賑ふだらうと人々が話しあつてゐた。

 釧路の驛へ行くと、午後三時半の網走《あばしり》行きがあつたので、その汽車へ乘る。こゝでは角大旅館で遇つた藤井と云ふ若い婦人記者のひとが私と旅を共にすると云つて合財袋を持つて一緒の列車に乘つて來たが、いゝ人達の親切は斷りの仕樣もない。
 窓外は茫寞たる谷地で柏の木が多い。標茶《しべちや》の驛あたりより驟雨になつた。車内では川湯温泉の驛長さんが乘り合はしてゐて、色々な旅の話に興じた。
「摩周《ましう》の湖は、すぐ霧がかゝつてしまうので、運がよくないとなかなか見られませんよ」
 今日はとても見られまいとの話で、弟子屈《てしかが》温泉に泊ることにする。
 弟子屈の山小屋のやうな小さい驛へ着くと、起伏のある部落の家々には早や灯
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