ッパリ云い切ると、飯田さんをジロリと見上げた。
 私はたいさんが憎らしかった、こんなにブジョクされて……山本さんは溝へ落ちた鼠のように、しょんぼりすると、蒲団は僕のものだから持ってかえると云い出した。
 すべてが渦である。
 たい子さんはいち早く山田清三郎氏のところへ逃げて行った。
 私はブツブツ云いながら三人の男たちと外に出た。
 カフェーにはいって、酒を呑む程に、酔がまわる程に、四人はますますくだらなく[#「くだらなく」に傍点]なって来る。
 庄野さんは、下宿へ来て泊れと云う。蒲団のない寒さを思うと、私は庄野さんと自動車に乗って、舌たらずのギコウ[#「ギコウ」に傍点]にまけてなるものか、私は酒に酔ったまねが大変上手だ。

 二人はフトンの上に、二等分に帯をひっぱって寝た。
「山本君だって飯田君だって、たいさんだってあとで聞いたら、関係があると云うかも知れないね。」
「云ったっていゝでしょう。貴方も公明正大なら、私も公明正大ね、一夜の宿をしてくれてもいゝでしょう。蒲団がなけりゃ仕様がない」
 私は出もどりのヴァージンだ。どっかに、一生をたくす男がある筈だ、私は、私に許された領分だけ手足をのばして目をとじた。
 たいさんも宿が出来たかしら……目頭に熱い涙が湧いた。
「庄野さん! 明日起きたら、御飯食べさせてね、お金もかしてね、原稿を新聞にかくから……。」
 私は朝まで眠ってはならないと思った。男のコオフン状態なんて、政治家と同じようなものさ、駄目だと思ったらケロリとしている。

 明日になったら、又どっかへ行くみち[#「みち」に傍点]をみつけなくちゃあ……。

 十二月×日
 ゆかい[#「ゆかい」に傍点]な朝だ、一人の男に打ち勝って私は意気ようようと、酒屋の二階に帰える。
 たいさんが帰えっていた。畳の上で何か焼いた跡らしく、点々と焦げて、たいさんの茶色のマントが、散々に破られていた。
「庄野さんとこへ昨夜泊ったのよ。」
 たいさんはニヤリと笑った。
 私はもう捨てばちである。
 たいさんは結婚するかも知れないと云う。うらやましくて仕様がない。
 今は只沈黙っていたいと云う、淋しかったが、たいさんの顔は更生に輝いていた。
 みじめな者は私一人じゃないか、私はぺしゃんこ[#「ぺしゃんこ」に傍点]にくず折れた気持ちで、片づけて行くたい子さんの白い手を見ていた。
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   三白草《どくだみ》の花

 九月×日
 今日も亦あの雲だ。
 むくむくと湧き上る雲の流れを私は昼の蚊帳の中から眺めていた。

 今日こそ十二社に歩いて行こう――そうしてお父さんやお母さんの様子を見てこなくちゃあ……私はお隣りの信玄袋に凭れている大学生に声を掛けた。
「新宿まで行くんですが、大丈夫でしょうかね。」
「まだ電車も自動車もありませんよ。」
「勿論歩いて行くんですよ。」
 此青年は沈黙って無気味な雲を見ていた。
「貴方はいつまで野宿をなさるおつもりですか?」
「さあ、此広場の人達がタイキャク[#「タイキャク」に傍点]するまで、僕は原始にかえったようで、とても面白いんです。」
 チェッ生噛じりの哲学者メ。
「御両親のところで、当分落ちつくんですか……。」
「私の両親なんて、私と同様に貧乏で間借りですから、長くは居ませんよ、十二社の方は焼けてやしないでしょうね。」
「さあ、郊外は×××が大変だそうですね。」
「でも行って来ましょう。」
「そうですか、水道橋までおくってあげましょう。」
 青年は土に突きさした洋傘を取って、クルクルまわしながら、雲の間から、霧のように降りて来る灰をはらった。
 私は四畳半の蚊帳をたゝむと、崩れかけた下宿へ走った。宿の人達は、ゴソゴソ荷物を片づけていた。
「林さん大丈夫ですか、一人で……。」
 皆が心配してくれるのを振りきって、私は木綿の風呂敷を一枚持って、モウモウとした道へ出た。
 根津の電車通りは、みゝず[#「みゝず」に傍点]のようにかぼそく野宿の群がつらなっていた。
 青年は真黒に群れた人波をわけて、くるくる黒い洋傘をまわして歩いている。

 私は下宿に、昨夜間代を払わなかった事を何か奇蹟のように思えた。お天陽様相手に行動をしている、お父さん達の事を思うと、此三拾円ばかりの月給も、おろそかにつかえない。
 途中壱升壱円の米を二升買う。
 外に朝日五ツ。
 干しうどん[#「うどん」に傍点]のくず[#「くず」に傍点]五拾銭買う。
 お母さん達が、どんなに喜こんでくれるだろう。じりじりした暑さの中に、日傘のない私は、長い青年の影をふんで歩いた。
「よくもこんなに焼けたもんだ!」
 私は二升の米を肩を替えながら脊負って歩くので、はつか[#「はつか」に傍点]鼠くさい体臭がムンムンして厭だった。

「すいとん[#「すいとん」に傍点]でも食べましょうか。」
「私おそくなるから止しますわ。」
 青年は長い事立ち止って汗をふいていたが、洋傘をくるくるまわすと、それを私に突き出して云った。
「これで五十銭借して下さい。」
 私は伽話的な青年の行動に好ましい微笑を送った。そして気もちよく桃色の五拾銭札を二枚出して青年の手にのせてやった。
「貴方お腹がすいてたんですね……。」
「ハッ…………。」青年はほがらかに哄笑した。
「地震って素的だな!」
 十二社までおくってあげると云う、青年を無理に断わって、私はテクテク電車道を歩いた。
 あんなに美しかった女性達が、たった二三日のうちに、みんな灰っぽくなって、桃色の蹴出しは、今は用のない花である。

 十二社についた時は、日暮れだった。四里はあるだろう。私は棒のようにつっぱった足を、父達の間借りの家へ運んだ。
「まあ入れ違いですよ、今日引越していらっしたんですよ。」
「まあ、こんな騒ぎにですか……。」
「いゝえ、私達が、こゝをたゝんで帰国しますから。」
 私は呆然としてしまった。番地も何も聞いておかなかったと云う関西者らしい薄情さを持った髪のうすい此女を憎らしく思った。

 私は堤の上の水道のそばに、米を投げるようにおろすと、深々と煙草を吸った。少女らしい涙がにじんで来る。
 遠くつゞいた堤のうまごやし[#「うまごやし」に傍点]の花は、兵隊のように、皆地びたにしゃがんでいる。
 星がチカチカ光りだした。野宿をするべく心をきめた私は、なるべく人の多いところへ。堤を降りると、とっつきの歪んだ床屋の前に、ポプラで囲まれた広場があった。
 そして、二三の小家族が群れていた。
「本郷から、大変でしたね……。」
 人のいゝ床屋のお上さんは店から、アンペラを持って来て、私の為に寝床をつくってくれた。
 高いポプラがゆっさゆっさ[#「ゆっさゆっさ」に傍点]風にそよぎ出した。
「これで雨にでも降られたら、散々ですよ。」
 夜警に出かける、年とった御亭主が、鉢巻きをしながら、空を見て、つぶやいた。

 九月×日
 朝。
 久し振りに、古ぼけた床屋さんの鏡を見る。
 まるで山出しの女中さんだ、私は苦笑しながら、髪をかきあげた。油っ気のない髪が、バラバラ額にかゝって来る。
 床屋さんに、お米二升お礼に置く。
「そんな事してはいけませんよ。」
 お上さんは一丁ばかりもおっかけて、お米をゆさゆさ[#「ゆさゆさ」に傍点]抱えて来た。
「実は重いんですから……。」
 そう云ってもお上さんは、二升のお米を困る時があるからと云って、私の脊に無理に脊負わせてしまった。

 昨日来た道である。
 相変らず、足は棒のようになっている。若松町まで来ると、膝が痛くなってしまった。

 すべては天真ランマンにぶっつかろう、私は、鑵詰の箱をいっぱい積んでいる自動車を見ると、矢もたてもたまらなくなって叫んだ。
「乗っけてくれませんかッ!」
「どこまで行くんですッ!」すべては、かくほがらか[#「ほがらか」に傍点]である。
 私はもう両手を鑵詰の箱にかけていた。

 順天堂前で降ろされると、私は投げるように、四ツの朝日を運転手達に出した。
「ありがとう。」
「姉さんさよなら……」

 私が根津の権現様の広場へ帰えった時、大学生は、例の通り、あの大きな傘の下で、気味の悪るい雲を見ていた。そして、その傘の片隅には、シャツを着たお父さんがしょんぼり煙草をふかしていた。
「入れ違いじゃったそうなのう……。」もう二人共涙である。
「いつ来た! 御飯たべた! お母さんは……」
 矢つぎ早やの私の言葉に、父は、昨夜×××と間違えられながらやっと来たら入れ違いだった事や、帰えれないので、学生さんと話しあかした事なぞ物語った。

 私はお父さんに、二升の米と、半分になった朝日と、うどんの袋を持たせると、汗ばんでしっとりしている拾円札を壱枚出して父にわたした。
「もらってえゝかの?……。」
 お父さんは子供のようにわくわくしている。
「お前も一しょに帰えらんかい。」
「番地さえ聞いておけば大丈夫よ、二三日内に又行くから……。」

 道を、叫んで行く人の声を聞いていると、私もお父さんも切なかった。
「産婆さんはお出になりませんかッ……どなたか産婆さん御存知ではありませんかッ!」

 九月×日
 街角の電信柱に、始めて新聞が張り出された。
 久し振りに、なつかしいたよりを聞くように、私も多勢の頭の後から、新聞をのぞいた。

 ――灘の酒造家よりの、お取引先きに限り、大阪まで無料にてお乗せいたします。定員五拾名。

[#ここから2字下げ]
何と素晴らしい文字よ。
あゝ私の胸は嬉しさではち切れそうだった。
私の胸は空想でふくらんだ、酒屋でなくったってかまうものか。
旅へ出よう。
美しい旅の古里へ出よう。
海を見て来よう――。
[#ここで字下げ終わり]

 私は二枚ばかり単衣を風呂敷に包むと、帯の上に脊負って、それこそ漂然と、誰にも沈黙って下宿を出た。

 万世橋から乗合馬車に乗って、まるでこわれた[#「こわれた」に傍点]羽子板のように、ガックン、ガックン首を振って長い事芝浦までゆられた。
 道中費、金七拾銭也。
 高いような、安いような、何だか降りた時は、お尻がピリピリ痺れてしまっていた。
 すいとん[#「すいとん」に傍点]―うであずき[#「うであずき」に傍点]―おこわ[#「おこわ」に傍点]―果実―こうした、ごみごみと埃をあびた露店をくゞって行くと、肥料くさい匂いがぷんぷんして、築港には、鴎のように白い水兵達が群れていた。
「灘の酒船の出るところはどこでしょうか。」

 飛魚のように、ボートのいっぱい並んでいる小屋のそばの天幕の中に、その事務所があった。
「貴女お一人ですか……。」
 事務員の人達は、みすぼらしい私の姿をジロジロ注視した。
「え、そうです、知人が酒屋をしてまして、新聞を見せてくれたのです。是非乗せて戴きたいのですが……国で皆心配してますから。」
「大阪からどちらです。」
「尾道です。」
「こんな時は、もう仕様おまへん、お乗せしますよってに、これ落さんように持って行きなはれ……。」
 ツルツルした富久娘のレッテルの裏に、私の東京の住所と姓名と年と、行き先きを書いたのを渡してくれた。
 これは面白くなって来た。
 何年振りに尾道へ行く事だろう。あゝあの海、あの家、あの人……お父さんや、お母さんは、借金が山程あるんだから、どんな事があっても、尾道へは行かぬように、と云ったけど、少女時代を過ごしたあの海添いの町を、一人ぽっちの私は恋のようにあこがれた。
「かまうもんか、お父さんだって、お母さんだって知らなけりや、いゝんだもの?」
 鴎のような水夫達の間をくゞって、酒の香のなつかしい酒荷船へ乗り込んだ。

 七拾人ばかりの中に、女は私と、いゝ取引先のお嬢さんであろう水色の服を着た女と、美しい柄の浴衣を着た女と三人きりである。その二人のお嬢さん達は、青い茣座の上に始終横になって、雑誌を読んだり、果物を食べたりしていた。s
 私と同じ年頃なのに、私はいつも古い酒樽の上に腰かけているきりで、彼の女達は、私を見ても一言も声を掛けてはくれない。
「ヘエ! お高く
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