鉄色の大きな手が、カーテンに引っこんで行くところである。
妙に体がガチガチふるえる。どうなるものか、私は大きなセキをした。
カーテンの外に呶鳴っている料理人の声がする。
「生意気な! 汚ない真似しよると承知せんぞ!」
サッとカーテンが開くと、料理鉋丁のキラキラしたのをさげて、料理人が、一人の若い男の脊を突いてはいって来た。
そのむくんだ顔に覚えはないが、鉄色のその手にはたしかに覚えがあった。
何かすさまじい争闘が今にもありそうで、その料理鉋丁の動く度びに、私はキャッとした思いで、親指のようにポキポキした料理人の肩をおさえた。
「くせになりますよッ!」
機関室で、なつかしいエンジンの音がする。
手をはなすと、私は沈黙ってエンジンの音を聞いた。
[#改ページ]
秋の唇
十月八日
呆然と梯子段の上の汚れた地図を見ていると、蒼茫とした夕暮れの日射しに、地図の上は落寞とした秋であった。
寝ころんで、煙草を吸っていると、訳もなく涙がにじんで、細々と佗しくなる。
地図の上では、たった二三寸の間なのに、可哀想なお母さんは四国の海辺で、朝も夜も私の事を考えて暮らして
前へ
次へ
全228ページ中124ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 芙美子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング