うか。
 夕方になると、世俗の一切を集めて茶碗のカチカチと云う音が下から聞えて来る。グウグウ鳴る腹の音を聞くと、私は子供のように悲しくなって、遠くに明い廓の女郎達がふっと羨ましくなった。
 沢山の本も今はもう二三冊になって、ビール箱には、善蔵の「子を連れて」だの「労働者セイリョフ」直哉の「和解」がさゝくれてボサリとしていた。

「又、料理店でも行ってかせぐかな。」
 ちん[#「ちん」に傍点]とあきらめてしまった私は、おきやがりこぼし[#「おきやがりこぼし」に傍点]のように変にフラフラした体を起して、歯ブラシや石鹸や手拭を袖に入れると、風の吹く夕べの街へ出た。
 ――女給入用――のビラの出ていそうなカフェーを次から次へ野良犬のように尋ねて……只食う為に、何よりもかによりも私の胃の腑は何か固形物を慾しがっていた。
 あゝどんなにしても食わなければならない。街中が美味そうな食物じゃあないか!
 明日は雨かも知れない。重たい風が漂々と吹く度に、昂奮した私の鼻穴に、すがすがしい秋の果実店からあんなに芳烈な匂いがする。[#地から2字上げ]――一九二八・九――
[#改ページ]

   濁り酒

 十
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