た私は下に降りて行った。
「今頃どこへ!」下の叔母さんは裁縫の手を休めて私を見る。
「割引きです。」
「元気がいゝのね……。」
蛇の目の傘を拡げると、動坂の活動小屋に行った。
ヤングラジャ、私は割引きのヤングラジャに恋心を感じた。太鼓船の東洋的なオーケストラも雨の降る日だったので嬉しかった。
だが、所詮はどこへ行っても淋しい一人身。小屋が閉まると、私は又溝鼠のように塩たれて部屋へ帰った。
「誰かお客さんのようでしたが……。」
叔母さんの寝ぼけた声を脊に、疲れて上って来ると、吉田さんが、紙を円めながらポケットへ入れていた。
「おそく上って済みません。」
「いゝえ、私活動へ行って来たのよ。」
「あんまりおそいんで、置手紙をしてたとこなんです。」
別に話もない赤の他人なんだけど、吉田さんは私に甘えてこようとしている。鴨居につかえそうに脊の高い、吉田さんを見ていると、タジタジと圧されそうになる。
「随分雨が降るのね……。」
この位白ばくれておかなければ、今夜こそどうにか、爆発しそうで恐ろしかった。
壁に脊を凭せて、彼の人はじっと私の顔を凝視めて来た。私は、此人が好で好でたまらなくなりそうに思えて困ってしまった。
だけど、私はあの男でもうこりごり[#「こりごり」に傍点]している。
私は温なしく、両手を机の上にのせて、白い原稿用紙に照り返えった、灯の光りに瞳を走らせていた。私の両の手先きが、ドクドク震えている。
一本の棒を二人で一生懸命押しあった。
あゝそんな瞳をなさると、とても私はもろい女でございます。愛情に飢えている私は、胸の奥が、擽ぐったくジンジン鳴っている。
「貴女は私を嬲っているんじゃないんですか?」
「どうして!」
何と云う間の抜けた受太刀だろう。
接吻一ツしたわけではなし、私の生々しい感傷の中へ、巻き込まれていらっしゃるきりじゃありませんか……私は口の内につぶやきながら、此男をこのまゝこさせなくするのも一寸淋しい気がした。
あゝ友人が欲しい。こうした優しさを持ったお友達が欲しいのだけれど……私はポタポタと涙があふれた。
いっその事、ひと思いに殺されてしまいたい。彼の人は私を睨み殺すのかも知れない。生唾が、ゴクゴク舌の上を走る。
「許して下さい!」
泣き伏す事は、一層彼の人の胸をあおりたてるようだったけれど、私は自分がみじめに思えて仕方がなかった、別れた男との幾月かを送った此部屋の中に、色々な幻が泳いでいて私をたまらなくした。
――引越さなくちゃあ、とてもたまらない。私は机に伏さったまゝ郊外のさわやかな夏影色「#「夏影色」はママ]を、グルグル頭に描いてみた。
雨の情熱はいっそう高まって来た。
「僕を愛して下さい、だまって僕を愛して下さい!」
「だからだまって、私も愛しているではありませんか……。」
せめて手を振る事によってこの青年の胸が癒されるならば……。
私はもう男に放浪する事は恐ろしい。貞操のない私の体だけど、まだどこかに、一生を託す男が出てこないとも限らない。
でも此人は、新鮮な血の匂いを持っている。厚い胸・青い眉・太陽のような瞳。あゝ私は激流のようなはげしさで、二枚の唇を、彼の人の唇に押しつけてしまった。
六月×日
淋しく候。
くだらなく候。
金が欲しく候。
北海道あたりの、アカシアのプンプン香る並樹舗を、一人できまゝに歩いてみたい。
「起きましたか!」
珍らしく五十里さんの声。
「えゝ起きてます。」
日曜なので、五十里さんと静栄さんと、吉祥寺の宮崎さんのアメチョコハウスに行く。夕方ポーチで犬と遊んでいたら、上野山と云う洋画を描く人が遊びに来た。私は此人と会うのは二度目だ。
私がおさない頃、近松さんの家に女書生にはいってた時、此人は茫々とした姿で、牛の画を売りに来た事がある。子供さんがジフテリヤで、大変佗し気な風才[#「風才」はママ]だった。靴をそろえる時、まるで河馬の口みたいに靴の底が離れていた。私は小さい針を持って来ると、そっと止めておいてあげた事がある。
きっと気がつかなかったのかも知れない。
上野山さんは漂々と酒を呑みよく話した。
夜、上野山氏は一人で帰って行った。
[#ここから2字下げ]
地球の廻転椅子に腰を掛けて
ガタンとひとまわりすれば
引きずる赤いスリッパが
片方飛んでしまった
淋しいな……
オーイと呼んでも
誰も私のスリッパを取ってはくれぬ
度胸をきめて
廻転椅子から飛び降り
飛んだスリッパを取りに行こうか
臆病な私の手はしっかり
廻転椅子にすがっている
オーイ誰でもいゝ
思い切り私の横面を
はりとばしてくれ
そしてはいてるスリッパも飛ばしてくれ
私はゆっくり眠りたい
[#ここで字下げ終わり]
落ちつかない寝床の中で、私は
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