顔を見合わせた。私は一人立ちしていても貧乏、お夏さんは親のすねかじりで勿論お小遣もそんなにないので、二人は財布を見せあいながら、狐うどんを食べた。
女学生らしいあけっぱなしの気持で、二人は帯をゆるめてはお変りをしては食べた。
「貴女ぐらいよく住所の変る人ないわね、私の住所録を汚して行くのはあんた一人よ。」
お夏さんは黒い大きな目をまたゝきもさせないで私を見た。
甘えたい気持でいっぱい。
丸山公園の噴水にもあいてしまった。
二人はまるで恋人のようによりそって歩いた。
「秋の鳥辺山はよかったわね。落葉がしていて、ほら二人でおしゅん伝兵衛の墓にお参りした事があったわね……。」
「行ってみようか!」
お夏さんは驚いたように瞳をみはった。
「貴女はそれだから苦労するのよ。」
京都はいゝ街だ。
夜霧がいっぱいたちこめた向うの立樹のところで、キビッキビッ夜鳥が鳴いている。
下鴨のお夏さんの家の前が丁度交番になっていて、赤い灯がポッカリとついていた。
門の吊灯籠の下をくゞって、そっと二階へ上ると、遠くの寺でゆっくり鐘を打つのが響いて来る。
メンドウな話をくどくどするより、沈黙ってよう……お夏さんが火を取りに下に降りると、私は窓に凭れて、しみじみ大きいあくびをした。[#地から2字上げ]――一九二六――
[#改ページ]
百面相
四月×目
地球よパンパンとまっぷたつに割れてしまえ! と怒鳴ったところで、私は一匹の烏猫、世間様は横目で、お静かにお静かにとおっしゃる。
又いつもの淋しい朝の寝覚め、薄い壁に掛った、黒い洋傘を見ていると、色んな形に見えて来る。
今日も亦此男は、ほがらかな桜の小道を、我々プロレタリアートよなんて、若い女優と手を組んで、芝居のせりふを云いあいながら行く事であろう。
私はじっと脊を向けて寝ている男の髪の毛を見ていた。
あゝこのまゝ蒲団の口が締って、出られないようにしたら……。
――やい白状しろ!――なんて、こいつにピストルでも突きつけたら、此男は鼠のようにキリキリ舞いしてしまうだろう。
お前は高が芝居者じゃあないか。インテリゲンチャのたいこもちになって、我々同志よ! もみっともない。
私はもうお前にはあいそ[#「あいそ」に傍点]がつきてしまった。
お前さんのその黒い鞄には、二千円の貯金帳と、恋文が出たがって、両手を差出していたよ。
「俺はもうじき食えなくなる。誰かの一座にでもはいればいゝけど……俺には俺の節操があるし。」
私は男にとても甘い女です。
その言葉を聞くと、サンサンと涙をこぼして、では街に出ましょうか。
そして私は此四五日、働く家をみつけに、魚の腸のように疲れては帰って来ていたのに……此嘘突き男メ! 私はいつもお前が用心して鍵を掛けているその鞄を、昨夜そっと覗いてみたのだよ。
二千円の金額は、お前さんが我々プロレタリアと言っている程少くもなかろう。
私はあんなに美しい涙を流したのが莫迦らしくなった。
二千円と、若い女優がありゃ、私だったら当分長生きが出来る。
あゝ浮世は辛うごさりまする。
こうして寝ているところは円満な御夫婦、冷い接吻はまっぴらだよ。
お前の体臭は、七年も連れそった女房や、若い女優の匂いでいっぱいだ。
お前はそんな女の情慾を抱いて、お務めに私の首に手を巻いてくる。
どいておくれよッ!
淫売でもした方が、気づかれがなくて、どんなにいゝか知れやしない。
私は飛びおきると男の枕を蹴ってやった。嘘突きメ! 男は炭団のようにコナゴナに崩れていった。
ランマンと花の咲き乱れた四月の空は赤旗だ、地球の外には、颯々として熱風が吹きこぼれて、オーイオーイ見えないよび声が四月の空に弾けている。
飛び出してお出でよッ!
誰も知らないところで働きましょう。茫々として霞の中に私は太い手を見た。真黒い腕を見た。
四月×日
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一度はきやすめ二度は嘘
三度のよもやにしかされて……
[#ここで字下げ終わり]
憎らしい私の煩悩よ、私は女でございました。やっぱり切ない涙にくれまする。
[#ここから2字下げ]
鶏の生胆に
花火が散って夜が来た
東西! 東西!
そろそろ男との大詰が近づいたよ
一刀両断に切りつけた男の腸に
メダカがぴんぴん泳いでいた
臭い臭い夜だよ
誰も居なけりや泥棒にはいりますぞ!
私は貧乏故男も逃げて行きました
あゝ真暗い頬かぶりの夜だよ。
[#ここで字下げ終わり]
土を凝視めて歩いていると、しみじみ悲しくて、病犬のようにふるえて来る。なにくそ! こんな事じゃあいけないね。
美しい街の舗道を今日も私は、――女を買ってくれないか、女を売ろう……と野良犬のように彷徨した。
引き止めても引き止まら
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