出口にある此店は、案外しっとり落ついていて、私は二人の女達ともじき仲よくなれた。
 こんな処に働いている女達は、始めどんな意地悪るくコチコチに要心して、仲よくなってくれなくっても、一度何かのはずみでか、真心を見せると、他愛もなく、すぐまいってしまって、十年の知己のように、まるで姉妹以上になってしまう。
 客が途絶えると、私達はよくかたつむり[#「かたつむり」に傍点]のようにまるくなった。

 十一月×日
 どんよりとした空。
 君ちゃんとさしむかいで、じっとしていると、むかあしかいだ事のある、何か黄ろっぽい花の匂いがする。
 夕方、電車通りの風呂から帰って来ると、いつも呑んだくれの大学生の水野さんが、初ちゃんに酒をつがして呑んでいた。
「あんたはとうと裸を見られたわよ。」
 お初ちゃんがニタニタ笑いながら、鬢窓に櫛を入れている私の顔を鏡越しに見て、こう言った。
「あんたが風呂に行くとすぐ水野さんが来て、あんたの事聞いたから、風呂って云ったの……」
 呑んだくれの大学生は、風のように細い手を振りながら、頭をトントン叩いていた。
「嘘だよ!」
「アラ! 今言ったじゃないの……水野さんてば、電車通りへいそいで行ったから、どうしたのかと、思ってたら、帰って来て、水野さん、女湯をあけたんですって、そしたら番台でこっちは女湯ですよッ! て言ったってさ、そしたら、あゝ病院とまちがえましたってじっとしてたら、丁度あんたが、裸になった処だって、水野さんそれゃあ大喜びなの……。」
「へん! 随分助平な話ね。」
 私はやけに頬紅をはくと、大学生は薄いコンニャクのような手を合わせて、
「怒った? かんにんしてね!」
 裸が見たけりゃあ、お天陽様の下に真裸で転って見せるよッ! とよっぽど、吐鳴ってやりたかった。
 一晩中気分が重っくるしくって、私はうで[#「うで」に傍点]卵を七ツ八ツパッチンパッチンテーブルへぶっつけてわった。

 十一月×日
 秋刀魚を焼く匂いは季節の呼び声だ。
 夕方になると、廓の中は今日も秋刀魚の臭い、お女郎は毎日秋刀魚じゃあ、体中うろこ[#「うろこ」に傍点]が浮いてくるだろう……

 夜霧が白い白い、電信柱の細っこい姿が針のように影を引いて、のれんの外にたって、ゴウゴウ走って行く電車を見ていると、なぜかうらやましくなって鼻の中がジンと熱くなる。
 蓄音器のこわれたゼンマイは昨日もかっぽれ[#「かっぽれ」に傍点]今日もかっぽれ[#「かっぽれ」に傍点]だ。

 生きる事が実際退屈になった。
 こんな処で働いていると、荒さんで荒さんで、私は万引でもしたくなる。女馬賊にでもなりたくなる。
 インバイにでもなりたくなる。

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若い姉さんなぜ泣くの
薄情男が恋ひしいの……
[#ここで字下げ終わり]

 誰も彼も、誰も彼も、ワッハ! ワッハ! あゝ地球よパンパンと真二つになれッ、私を嘲笑っている顔が幾つもうようよしてる。

「キングオブキングを十杯飲んでごらん、拾円のかけだ!」
 どっかの呑気坊主が、厭にキンキラ顔を光らせて、いれずみ[#「いれずみ」に傍点]のような拾円札を、ピラリッとテーブルに吸いつかせた。
「何でもない事だ!」
 私はあさましい姿を白々と電気の下に晒して、そのウイスキーを十杯けろりと呑み干した。
 キンキラ坊主は呆然と私を見ていたが、負けおしみくさい笑いを浮べて、おうよう[#「おうよう」に傍点]に消えてしまった。
 喜んだのはカフェーの主人ばかり、へえへえ、一杯一円のキングオブを十杯もあの娘が呑んでくれたんですからね……ペッペッペッだ。ツバを吐いてやりたいね。

 瞳が炎える。
 誰も彼も憎い奴ばかりだ。
 あゝ私は貞操のない女でござんす。一ツ裸踊りでもしてお目にかけましょうか、お上品なお方達、へえ、てんでに眉をひそめて、星よ月よ花よか! 
 私は野そだち、誰にも世話にならないで生きて行こうと思えば、オイオイ泣いてはいられない。男から食わしてもらおうと思えば、私はその何十倍か働かねばならない。
 真実同志よと叫ぶ友達でさえ嘲笑う。

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歌をきけば梅川よ
しばし情を捨てよかし
いづこも恋にたはむれて
それ忠兵衛の夢がたり
[#ここで字下げ終わり]
 詩をうたって、いゝ気持で、私はかざり窓を開けて夜霧をいっぱい吸った。あんな安っぽい安ウイスキー十杯で酔うなんて……あああの夜空を見上げて御覧、絢爛がかゝったな、虹がかゝ[#「虹がかゝ」に傍点]った。

 君ちゃんが、大きい目をして、それでいゝのか、それで胸が痛まないのか、貴女の心をいためはせぬかと、私をグイグイ掴んでいる。

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やさしや年もうら若く
まだ初恋のまぢりなく
手に手をとりて行く人よ
なにを隠るるその姿

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