ぎんみしてゐたので、とくいの客も段々ふえて行つた。なかには、妙子を目標にして來る客もあり、妙子はよく心得て、さうした客達をじよさいなくあつかつてゐた。
 磯部隆吉は、店が繁昌していつたところで、それが愉しいと云ふわけでもなく、一生懸命に働いてはゐても、昔ほどの野心も欲望もなく、酒好きな河邊亮太郎が尋ねて來ると、隆吉は亮太郎と、狹い自分達の部屋で、酒を飮みながらよもやま話をするのが唯一の愉しみであつた。
 店の土間は三坪ばかりで、粗末な卓子と椅子を置き、紙張りの天井には、雨漏りの汚點が出來てゐると云つた佗しいかまへで、自分達の部屋も六疊一間で、軍隊毛布を、破れた疊に敷き、小さい電氣コンロの炬燵を置いた風情のない部屋であつた。臺所が土間の三疊で、こゝだけには豐富に酒や、仕入れの食料がぎつしり詰つてゐた。臺所の出口には、隆吾が手作りの箱をつくつて、そこへ白色レグホンを二羽飼つてゐた。朝の早い隆吉は、鷄の鳴く聲がきゝたいばつかりに鷄を飼つたのである。
 滿洲でも、隆吉は鷄を澤山飼つてゐた。仄々と明けてゆく夜明の時刻に、たけだけしく鳴く鷄の聲は、隆吉にいろいろな思ひ出をさそふのである。あゝあんな
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