私は、言葉が乱暴なので、よく先生に叱られた。先生は、三十を過ぎた太った女のひとであった。いつも前髪の大きい庇《ひさし》から、雑巾《ぞうきん》のような毛束《けたば》を覗かしていた。
「東京語をつかわねばなりませんよ」
 それで、みんな、「うちはね」と云う美しい言葉を使い出した。
 私は、それを時々失念して、「わしはね」と、云っては皆に嘲笑《ちょうしょう》された。学校へ行くと、見た事もない美しい花と、石版絵がたくさん見られて楽しみであったが、大勢の子供達は、いつまでたっても、私に対して、「新馬鹿大将」を止《や》めなかった。
「もう学校さ行きとうはなか?」
「小学校だきゃ出とらんな、おッ母さんば見てみい、本も読めんけん、いつもかつも、眠《ねむ》っとろうがや」
「ほんでも、うるそ[#「うるそ」に傍点]うして……」
「何がうるさ[#「うるさ」に傍点]かと?」
「云わん!」
「云わんか?」
「云いとうはなか!」
 刀で剪《き》りたくなるほど、雨が毎日毎日続いた。階下のおばさんは、毎日昆布の中に辻占と山椒を入れて帯を結んでいた。もう、黄いろいご飯も途絶え勝ちになった。母は、階下のおばさんに荷札に針金
前へ 次へ
全34ページ中27ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 芙美子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング