た。私は占領《せんりょう》された風琴の音を聞くと、たまらなくなって、群集の足をかきわけた。
「ええ――子宮、血の道には、このオイチニイ[#「オイチニイ」に傍点]の薬ほど効くものはござりませぬ」
私は材木の上に群れた子供達を押しのけると、風琴を引き寄せて肩に掛けた。
「何しよっと! わしがとじゃけに……」
子供達は、断髪《だんぱつ》にしている私の男の子のような姿を見ると、
「散剪《ざんぎ》り、散剪り、男おなご[#「男おなご」に傍点]やアい!」と囃《はや》したてた。
父は古ぼけた軍人|帽子《ぼうし》を、ちょいとなおして、振りかえって私を見た。
「邪魔《じゃま》しよっとじゃなか! 早《は》よウおッ母さんのところへ、いんじょれ!」
父の眼が悲しげであった。
子供達は、また蠅《はえ》のように風琴のそばに群れて白い鍵《キイ》を押した。私は材木の上を縄渡《なわわた》りのようにタッタッと走ると、どこかの町で見た曲芸の娘のような手振りで腰《こし》を揉《も》んだ。
「帯がとけとるどウ」
竹馬を肩にかついだ男の子が私を指差した。
「ほんま?」
私はほどけた[#「ほどけた」に傍点]帯を腹の上で結ぶと、裾《すそ》を股《また》にはさんで、キュッと後にまわして見せた。
男の子は笑っていた。
白壁の並んだ肥料倉庫の広場には針のように光った干魚が山のように盛《も》り上げてあった。
その広場を囲んで、露店のうどん屋が鳥のように並んで、仲士達が立ったまま、つるつるとうどんを啜っていた。
露店の硝子箱《ガラスばこ》には、煎餅《せんべい》や、天麩羅がうまそうであった。私は硝子箱に凭《もた》れて、煎餅と天麩羅をじっと覗《のぞ》いた。硝子箱の肌《はだ》には霧がかかっていた。
「どこの子なア、そこへ凭れちゃいけんがのう!」
乳房《ちぶさ》を出した女が赤《あか》ん坊《ぼう》の鼻汁《はなじる》を啜りながら私を叱《しか》った。
4 山の朱い寺の塔《とう》に灯がとぼった。島の背中から鰯雲《いわしぐも》が湧《わ》いて、私は唄《うた》をうたいながら、波止場の方へ歩いた。
桟橋には灯がついたのか、長い竿《さお》の先きに籠《かご》をつけた物売りが、白い汽船の船腹をかこんで声高く叫《さけ》んでいた。
母は待合所の方を見上げながら、桟橋の荷物の上に凭れていた。
「何ばしよったと、お父さん見て来たとか?」
「うん、見て来た! 山のごツ売れよった」
「ほんまな?」
「ほんま!」
私の腰に、また紫の包みをくくりつけてくれながら、母の眼は嬉《うれ》し気《げ》であった。
「ぬくう[#「ぬくう」に傍点]なった、風がぬるぬるしよる」
「小便《こよう》がしたか」
「かまうこたなか、そこへせいよ」
桟橋の下にはたくさん藻《も》や塵芥《じんかい》が浮《う》いていた。その藻や塵芥の下を潜《くぐ》って影《かげ》のような魚がヒラヒラ動いている。帰って来た船が鳩《はと》のように胸をふくらませた。その船の吃水線《きっすいせん》に潮が盛り上ると、空には薄い月が出た。
「馬の小便《こよう》のごつある」
「ほんでも、長いこと、きばっとった[#「きばっとった」に傍点]とじゃもの」
私は、あんまり長い小便にあいそをつかしながら、うんと力んで自分の股間《こかん》を覗いてみた。白いプクプクした小山の向うに、空と船が逆《さか》さに写っていた。私は首筋が痛くなるほど身を曲《かが》めた。白い小山の向うから霧を散らした尿《いばり》が、キラキラ光って桟橋をぬらしている。
「何しよるとじゃろ、墜《お》ちたら知らんぞ、ほら、お父さんが戻《もど》って来よるが」
「ほんまか?」
「ほんまよ」
股間を心地《ここち》よく海風が吹いた。
「くたびれなはったろう?」
母がこう叫ぶと、父は手拭で頭をふきながら、雁木の上の方から、私達を呼んだ。
「うどんでも食わんか?」
私は母の両手を握って振った。
「嬉しか! お父さん、山のごつ売ったとじゃろなア…………」
私達三人は、露店のバンコ[#「バンコ」に傍点]に腰をかけて、うどんを食べた。私の丼《どんぶり》の中には三角の油揚が這入っていた。
「どうしてお父さんのも、おッ母さんのも、狐《きつね》がはいっとらんと?」
「やかましいか! 子供は黙《だま》って食うがまし[#「まし」に傍点]……」
私は一片の油揚を父の丼の中へ投げ入れてニヤッと笑った。父は甘美《うま》そうにそれを食った。
「珍《めずら》しかとじゃろな、二三日|泊《とま》って見たらどうかな」
「初め、癈兵《はいへい》じゃろう云いよったが、風琴を鳴らして、ハイカラじゃ云う者もあった」
「ほうな、勇ましか曲をひとつふたつ、聴《き》かしてやるとよかったに……」
私は、残ったうどんの汁に、湯をゆらゆらついで長いこと乳のよう
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