《うま》かもの食いよっとじゃもの、あぎゃん腐《くさ》ったバナナば、恩にきせよる……」
「この子は、嫁《よめ》様にもなる年頃《としごろ》で、食うこツばかり云いよる」
「ぴんた[#「ぴんた」に傍点]ば殴るけん、ほら、鼻血が出つろうが……」
 母は合財袋の中からセルロイドの櫛《くし》を出して、私の髪《かみ》をなでつけた。私の房々した髪は櫛の歯があたるたびに、パラパラ音をたてて空へ舞《ま》い上った。
「わんわんして、火がつきゃ燃えつきそうな頭じゃ」
 櫛の歯をハーモニカのように口にこすって、唾《つば》をつけると、母は私の額の上の捲毛《まきげ》をなでつけて云った。
「お父さんが商売があってみい、何でも買《こ》うてやるがの……」


 3 私は背中の荷物を降ろしてもらった。
 紫《むらさき》の風呂敷包みの中には、絵本や、水彩《すいさい》絵具や、運針|縫《ぬ》いがはいっていた。
「風琴ばかり鳴らしよるが、商いがあったとじゃろか、行ってみい!」
 私は桟橋《さんばし》を駆《か》け上って、坂になった町の方へ行った。
 町が狭隘《せま》いせいか、犬まで大きく見える。町の屋根の上には、天幕がゆれていて、桜《さくら》の簪《かんざし》を差した娘《むすめ》達がゾロゾロ歩いていた。
「ええ――ご当地へ参りましたのは初めてでござりますが、当商会はビンツケをもって蟇《がま》の膏薬《こうやく》かなんぞのようなまやかし[#「まやかし」に傍点]ものはお売り致《いた》しませぬ。ええ――おそれおおくも、××宮様お買い上げの光栄を有しますところの、当商会の薬品は、そこにもある、ここにもあると云う風なものとは違《ちが》いまして……」
 蟻《あり》のような人だかりの中に、父の声が非常に汗《あせ》ばんで聞えた。
 漁師の女が胎毒下《たいどくくだ》しを買った。桜の簪を差した娘が貝殻《かいがら》へはいった目薬を買った。荷揚げの男が打ち身の膏薬を買った。ピカピカ手ずれのした黒い鞄《かばん》の中から、まるで手品のように、色んな変った薬を出して、父は、輪をつくった群集の眼の前を近々と見せびらかして歩いた。
 風琴は材木の上に転がっている。
 子供達は、不思議な風琴の鍵《キイ》をいじくっていた。ヴウ! ヴウ! この様に、時々風琴は、突拍子《とっぴょうし》な音を立てて肩をゆする。すると、子供達は豆《まめ》のように弾《はじ》けて笑っ
前へ 次へ
全17ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 芙美子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング