て上って来た。その黒い風呂敷包みの中には繻子《しゅす》の鯨帯《くじらおび》と、おじさんが船乗り時代に買ったという、ラッコの毛皮の帽子がはいっていた。おばさんは、夜更けを待って、裏口から質屋へ行く途中《とちゅう》ででもあったのであろう。おばさんの帯の間から質屋の通いがおちた。母は「このひとも苦労しなはる」と、思ったのか、その通いを、医者の見ぬように隠《かく》した。
「あぶないところであった」
「よかりましょうか?」
「打身をしとらぬから、血の道さえおこらねば、このままでよろしかろ」
 一度は食べてみたいと思ったおばさんの、内職の昆布が、部屋の隅に散乱していた。五ツ六ツ私は口に入れた。山椒《さんしょう》がヒリッと舌をさした。
「生きてあがったとじゃから、井戸|浚《さら》えもせんでよかろ」

 朝、その水で私達は口をガラガラ嗽《すす》いだ。井戸の中には、おばさんの下駄《げた》が浮いていた。私は禿《は》げた鏡を借りて来て、井戸の中を照らしながら、下駄を笊《ざる》で引きあげた。母は、石囲いの四ツ角に、小さい盛塩《もりじお》をして「オンバラジャア、ユウセイソワカ」と掌を合しておがんだ。
 曇《くも》り日で、雨らしい風が吹いている。
 父は、着物の上から、下のおじさんの汚れた小倉《こくら》の袴《はかま》をはいて、私を連れて、山の小学校へ行った。
 小学校へ行く途中、神武天皇を祭った神社があった。その神社の裏に陸橋があって、下を汽車が走っていた。
「これへ乗って行きゃア、東京まで、沈黙《だま》っちょっても行けるんぞ」
「東京から、先の方は行けんか?」
「夷《えびす》の住んどるけに、女子供は行けぬ」
「東京から先は海か?」
「ハテ、お父さんも行ったこたなかよ」
 随分《ずいぶん》、石段の多い学校であった。父は石段の途中で何度も休んだ。学校の庭は沙漠《さばく》のように広かった。四隅《よすみ》に花壇《かだん》があって、ゆすらうめ[#「ゆすらうめ」に傍点]、鉄線蓮《てっせんれん》、おんじ[#「おんじ」に傍点]、薊《あざみ》、ルピナス、躑躅《つつじ》、いちはつ[#「いちはつ」に傍点]、などのようなものが植えてあった。
 校舎の上には、山の背が見えた。振り返ると、海が霞《かす》んで、近くに島がいくつも見えた。
「待っとれや」
 父は、袴の結び紐《ひも》の上に手を組んで、教員室の白い門の中へはい
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