と、背負った風琴を思い出したのであろうか、風呂敷包みから風琴を出して肩にかけた。父の風琴は、おそろしく古風で、大きくて、肩に掛《か》けられるべく、皮のベルトがついていた。
「まだ鳴らしなさるな」
母は、新しい町であったので、恥《はずか》しかったのであろう、ちょっと父の腕《うで》をつかんだ。
口笛の流れて来る家の前まで来ると、鱗《うろこ》まびれになった若い男達が、ヒュッ、ヒュッ、と口笛に合せて魚の骨を叩《たた》いていた。
看板の魚は、青笹《あおざさ》の葉を鰓《あぎと》にはさんだ鯛《たい》であった。私達は、しばらく、その男達が面白い身ぶりでかまぼこ[#「かまぼこ」に傍点]をこさえている手つきに見とれていた。
「あにさん! 日の丸の旗が出ちょるが、何事ばしあるとな」
骨を叩く手を止めて、眼玉の赤い男がものうげ[#「ものうげ」に傍点]に振《ふ》り向いて口を開けた。
「市長さんが来たんじゃ」
「ホウ! たまげたさわぎ[#「さわぎ」に傍点]だな」
私達はまた歩調をあわせて歩きだした。
浜には小さい船着場がたくさんあった。河のようにぬめぬめした海の向うには、柔《やわら》かい島があった。島の上には白い花を飛ばしたような木がたくさん見えた。その木の下を牛のようなものがのろのろ歩いていた。
2 ひどく爽《さわ》やかな風景である。
私は、蓮根《れんこん》の穴の中に辛子《からし》をうんと詰《つ》めて揚《あ》げた天麩羅《てんぷら》を一つ買った。そうして私は、母とその島を見ながら、一つの天麩羅を分けあって食べた。
「はようもどん[#「もどん」に傍点]なはいよ、売れな、売れんでもええとじゃけに……」
母は仄《ほの》かな侘《わび》しさを感じたのか、私の手を強く握《にぎ》りながら私を引っぱって波止場《はとば》の方へ歩いて行った。
肋骨《ろっこつ》のように、胸に黄色い筋のついた憲兵の服を着た父が、風琴を鳴らしながら「オイチニイ、オイチニイ」と坂になった町の方へ上って行った。母は父の鳴らす風琴の音を聞くとうつむいてシュンと鼻をかんだ。私は呆《ぼ》んやり油のついた掌《てのひら》を嘗《な》めていた。
「どら、鼻をこっちい、やってみい」
母は衿《えり》にかけていた手拭《てぬぐい》を小指の先きに巻いて、私の鼻の穴につっこんだ。
「ほら、こぎゃん、黒うなっとるが」
母の、手拭を巻いた
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