の酒の唄をうたつてゐるのだ。
 廣太郎はふじ子と結婚して八年になる。
 子供が二人出來て、月給はやつと百貳拾圓になつた。八年の間、何の變哲もない、平々凡々な生活であつた。廣太郎へのひなん[#「ひなん」に傍点]と云へば酒好きなところがふじ子には不平であつたが、一家を困らせるやうな飮みぶりは今までにあまりなかつた。
 廣太郎は、信託會社の不動産課に勤めてゐて、月のうち、二週間位はあつちこつち地方を廻つて歩いてゐる。
 八年の間と云ふもの、邸や、山林や、田畑ばかり、人のものを見て歩いてゐたけれど、つくづくこの仕事に飽きてしまひ、廣太郎はいまはなかだるみな状態になりつゝあつた。自分では、こんな状態はいけないことだと思はないでもなかつたけれど、水の流れは、自分の抗しがたい方へ假借なくどんどん流れてゆく。――家庭の平和さへも妙に癪にさはつて來て、廣太郎は毎晩のやうに夜更けまで安い酒場を廻つて歩いてゐた。
 水先案内をうしなつたやうに、うろうろしてゐる自分の姿を、深夜の街にみいだしては、時にうつろな淋しい氣持になる時もあつたけれど、さて、現在の自分に何をなすべきかとたづねたところで、自分を救つてくれ
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