袖口にかいま見える色彩は、すべて淡い色あひを好み、水色と桃色のぼかしたたづななぞを身につけてゐた。香水は甘つたるい匂ひを、肩とぼつてりした二の腕にこすりつけておく。耳朶なぞへは間違つてもつけるやうな事はしないのである。きんは女である事を忘れたくないのだ。世間の老婆の薄汚なさになるのならば死んだ方がましなのである。――人の身にあるまじきまでたわゝなる、薔薇と思へどわが心地する。きんは有名な女の歌つたと云ふこの歌が好きであつた。男から離れてしまつた生活は考へてもぞつとする。板谷の持つて来た、薔薇の薄いピンクの花びらを見てゐると、その花の豪華さにきんは昔を夢見る。遠い昔の風俗や自分の趣味や快楽が少しづつ変化して来てゐる事もきんには愉しかつた。一人寝の折、きんは真夜中に眼が覚めると、娘時代からの男の数を指でひそかに折り数へてみた。あのひととあのひと、それにあのひと、あゝ、あのひともある……でも、あのひとは、あのひとよりも先に逢つてゐたのかしら……それとも、後だつたかしら……きんは、まるで数へ歌のやうに、男の思ひ出に心が煙たくむせて来る。思ひ出す男の別れ方によつて涙の出て来るやうな人もあつた。き
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