丁度その頃、始めて出来た飛行機にふり袖姿で乗せて貰つて州崎の原に墜落したと云ふ事が新聞種になり、相当評判をつくつた。きんは、欣也と云ふ名前で芸者に出たが、すぐ、講談雑誌なんかに写真が載つたりして、しまひには、その頃流行のヱハガキになつたりしたものである。
いまから思へば、かうした事も、みんな遠い過去のことになつてしまつたけれども、きんは自分が現在五十歳を過ぎた女だとはどうしても合点がゆかなかつた。長く生きて来たものだと思ふ時もあつたが、また短い青春だつたと思ふ時もある。養母が亡くなつたあと、いくらもない家財は、きんの貰はれて来たあとに生れたすみ子と云ふ義妹にあつさり継がれてしまつてゐたので、きんは養家に対して何の責任もない躯になつてゐた。
きんが田部を知つたのは、すみ子夫婦が戸塚に学生相手の玄人下宿をしてゐる頃で、きんは、三年ばかり続いていた旦那と別れて、すみ子の下宿に一部屋を借りて気楽に暮してゐた。太平洋戦争が始つた頃である。きんはすみ子の茶の間で行きあふ学生の田部と知りあひ、親子ほども年の違ふ田部と、何時か人目を忍ぶ仲になつてゐた。五十歳のきんは、知らない人の目には三十七八位に
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