つたにしても、かんじんの心が燃えてゆかないと云ふ事に、きんは焦りを覚える。「誰か、君の世話で、四十万ほど貸してくれる人ない?」「あら、お金のこと? 四十万なンて大金ぢやないの?」「うん、いま、どうしても、それだけ欲しいンだよ。心当りはない?」「ないわ、第一、こんな無収入な暮しをしてゐる私に、そンな相談をしたつて無理ぢやないの……」「さうかなア、うんと、利子をつけるが、どうだらう?」「駄目! 私にそンな事おつしやつても無理よ」きんは、急に寒気だつやうな気がした。板谷との長閑な間柄が恋ひしくなつて来る。きんは、がつかりした気持ちで、しゆんしゆんと沸きたつてゐるあられの鉄瓶を取つて茶を淹れた。「二十万位でもどうにかならない? 恩にきるンだがなア……」「をかしな人ね? 私にお金のことをおつしやつたつて、私にはお金のない事よく判つていらつしやるぢやないの……。私がほしい位のものだわ。私に逢ひたい為に来て下すつたンぢやなく、お金の話で、私のとこへいらつしたの?」「いや、君に逢ひたい為さ、そりやア逢ひたい為だけど、君になら、何でも相談が出来ると思つたからなンだよ」「お兄様に相談なさればいゝのよ」「兄貴には話せない金なンだ」きんは返事もしないで、ふつと、自分の若さも、もうあと一二年だなと思ふ。昔の焼きつくやうな二人の恋が、いまになつてみると、お互ひの上に何の影響もなかつた事に気がついて来る。あれは恋ではなく、強く惹きあふ雌雄だけのつながりだつたのかも知れない。風に漂ふ落葉のやうなもろい男女のつながりだけで、こゝに坐つてゐる自分と田部は、只、何でもない知人のつながりとしてだけのものになつてゐる。きんの胸に冷やかなものが流れて来た。田部は思ひついたやうに、にやりとして、「泊つてもいゝ?」と小さい声で、茶を呑んでゐるきんに尋ねた。きんは吃驚した眼をして、「駄目よ。こんな私をからかはないで下さい」と、眼尻の皺をわざとちぢめるやうにして笑つた。美しい皓い入れ歯が光る。「いやに冷酷無情だな。もう、一切金の話はしない。一寸、昔のきんさんに甘つたれたンだ。でも、――こゝは別世界だものね。君は悪運の強い人だよ。どんな事があつたつてくたばらないのは偉い。いまの若い女なンか、そりやアみじめだからね。君、ダンスはしないの?」きんは、ふゝんと鼻の奥でわらつた。若い女がどうだつて云ふンだらう……。私の知つた事
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