らしいと、わたしは、屋根にある桃の鉢を両手にかかえて机へ置いて眺めた。いい苔の色をしていて、素焼《すやき》だけれど、鉢は備前焼のような土色をしていた。

      *

 早いめに昼食を済ませて、わたしは山科《やましな》の方へ行ってみた。十年位前だったかに、大津から疏水《そすい》下りをしたことがあったが、その折に見た山科の青葉は心に浸《し》みて忘れられなかったので、わたしはあの辺をぶらぶら歩いてみたいとおもった。円タクをひろってどこでもいい景色のいい疏水のほとりに降ろして下さいと云うと、都ホテルの下の道を自動車はゆるく登って行った。都ホテルの堤には、つぼみを持った躑躅の木が堤いっぱい繁っていた。自動車の運転手が、これが蹴上《けあげ》の躑躅だと教えてくれた。
 疏水のほとりで降りて、それから橋を渡り、流れに添ってぽくぽく歩いてみた。何と云う町なのか知らないけれども、郊外らしく展《ひら》けていて、新らしい木口《きぐち》の家が沢山建っていた。それでも、時々、廃寺のような寺があったり、畑や空地《あきち》などがあった。寺の門を配した豪奢《ごうしゃ》な別荘もある。廃寺の庭は広々とした芝生《しばふ》で、少年が一人寝転んで呆《ぼ》んやり空を見ていた。白い雲が、疏水の水に影をおとして流れている。いい天気だった。堤の下の赤松越しに、四条行きの電車が走っている。電車道の人家の庭には白い卯《う》の花《はな》がしだれて咲いている。磚茶《せんちゃ》の味のような風が吹く。ごろりと横になりたいような景色だった。蹲踞《しゃが》んで水《み》の面《も》をみていると、飛んでゆく鳥の影が、まるで※[#「魚+予」、第4水準2−93−33]《かます》かなんかが泳いでいるように見える。水色をした小さい蟹《かに》が、石崖《いしがけ》の間を、螯《はさみ》をふりながら登って来ている。虻《あぶ》のような羽虫《はむし》も飛んでいる。河上では釣《つり》をしている人もいる。何が釣れるのか知らない。底まで澄んでみえるような水の青さだった。時々、客を乗せた屋形船《やかたぶね》が下りて来る。大津へ帰る船は、船頭が綱を引っぱって、なぎさ[#「なぎさ」に傍点]を船を引いて登って来ている。船は屠殺場行きの牛のようにゆるく河上へ登っている。水のほとりの桜はまだ咲いていた。青葉の間に散りぎわの悪い色褪《いろあ》せた花をのこして、なぎ[#「なぎ」に傍点]の日のような煙った淡さで咲いていた。
 堤を降りて、道を探しながら電車道の方へ行くと、洋服を着た子供たちが、京言葉で泥あそびをしていた。
 電車の駅近くへ出ると、小料理屋の間に挟《はさ》まって、大石|内蔵之助《くらのすけ》の住んでいたと云う、写真や高札《こうさつ》を立てた家があった。黄昏《たそがれ》ちかくて、くたびれきっていたが私は這入《はい》ってみた。家の中は暗くていい気持ちではなかった。入口から等身大の義士人形がずらりと並んでいた。打ち入りに使った色々なものがてすり[#「てすり」に傍点]の向うに飾ってあったが、暗くて詳しく眼に写って来なかった。小砂利が家じゅう敷きつめてあって、地獄極楽を観に来たような感じだった。義士人形は古いせいか、顔の色が褪《あ》せて、指がかけていたり、鼻がこぼれていたりして、気味の悪い姿だった。

      *

 電車で宿へ帰ると、また風呂へ這入り、わたしは机の前に坐ってみたが、何となく落ちつかないで困ってしまった。明日の十二日は啄木《たくぼく》の記念日だと云うのだけれども、啄木が生れた日なのか亡くなった日なのか、それさえわたしは知らない。読むにはどんな歌がいいだろうと、わたしはトランクから啄木歌集を出してあっちこっちめくってみた。

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百年《ももとせ》の長き眠りの覚めしごと
※[#「口+去」、第3水準1−14−91]呻《あくび》してまし
思ふことなしに

山の子の
山を思ふがごとくにも
かなしき時は君をおもへり
[#ここで字下げ終わり]

 こんな歌が眼にはいった。辛《つら》くなるような気持ちだった。一条大宮と云う処はどんな処なのだろう。羅生門《らしょうもん》と云う芝居を見ると、頭に花を戴いた大原女《おはらめ》が、わたしは一条大宮から八瀬《やせ》へ帰るものでござりますると云う処があったが、遠い昔、一条大宮と云う処はわたしになつかしい人の住んでいた町の名であった。懶《ものう》いので横になって啄木を読む。

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空知川《そらちがわ》雪に埋《うも》れて
鳥も見えず
岸辺の林に人ひとりゐき
[#ここで字下げ終わり]

 むかし空知の滝川と云う町にわたしも泊ったことがある。旅空でこんな歌を読んでいると、夙《とう》から旅にいるような気持ちだ。
 十二日は朝から雨だった。紫竹桃《しちくもも》の本
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