ぎ」に傍点]の日のような煙った淡さで咲いていた。
 堤を降りて、道を探しながら電車道の方へ行くと、洋服を着た子供たちが、京言葉で泥あそびをしていた。
 電車の駅近くへ出ると、小料理屋の間に挟《はさ》まって、大石|内蔵之助《くらのすけ》の住んでいたと云う、写真や高札《こうさつ》を立てた家があった。黄昏《たそがれ》ちかくて、くたびれきっていたが私は這入《はい》ってみた。家の中は暗くていい気持ちではなかった。入口から等身大の義士人形がずらりと並んでいた。打ち入りに使った色々なものがてすり[#「てすり」に傍点]の向うに飾ってあったが、暗くて詳しく眼に写って来なかった。小砂利が家じゅう敷きつめてあって、地獄極楽を観に来たような感じだった。義士人形は古いせいか、顔の色が褪《あ》せて、指がかけていたり、鼻がこぼれていたりして、気味の悪い姿だった。

      *

 電車で宿へ帰ると、また風呂へ這入り、わたしは机の前に坐ってみたが、何となく落ちつかないで困ってしまった。明日の十二日は啄木《たくぼく》の記念日だと云うのだけれども、啄木が生れた日なのか亡くなった日なのか、それさえわたしは知らない。読むにはどんな歌がいいだろうと、わたしはトランクから啄木歌集を出してあっちこっちめくってみた。

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百年《ももとせ》の長き眠りの覚めしごと
※[#「口+去」、第3水準1−14−91]呻《あくび》してまし
思ふことなしに

山の子の
山を思ふがごとくにも
かなしき時は君をおもへり
[#ここで字下げ終わり]

 こんな歌が眼にはいった。辛《つら》くなるような気持ちだった。一条大宮と云う処はどんな処なのだろう。羅生門《らしょうもん》と云う芝居を見ると、頭に花を戴いた大原女《おはらめ》が、わたしは一条大宮から八瀬《やせ》へ帰るものでござりますると云う処があったが、遠い昔、一条大宮と云う処はわたしになつかしい人の住んでいた町の名であった。懶《ものう》いので横になって啄木を読む。

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空知川《そらちがわ》雪に埋《うも》れて
鳥も見えず
岸辺の林に人ひとりゐき
[#ここで字下げ終わり]

 むかし空知の滝川と云う町にわたしも泊ったことがある。旅空でこんな歌を読んでいると、夙《とう》から旅にいるような気持ちだ。
 十二日は朝から雨だった。紫竹桃《しちくもも》の本
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