したの、でも勇兄さんのやうにニヒリストぢやなささうです。
昨夜、娘さんは川下の曼陀羅寺へお嫁入りして行きました。麩のやうなかまぼこや、きんとん、鮭の焼いたの、こんなものがお夕食につきました。お嫁さんは紅い風呂敷包を腰にくくつて、お嫁入り先まで歩いて行くのです。荷物は家の馬に乗せて、お婆さんも時代色のついた古風な紋付を着て、荷物と一緒に馬に乗つて、まるで昔の道中です。提灯が見えなくなるまで、皆で軒下に立つてゐました。
「いやもう、娘といふものは産むでないよ」
娘のお母さんはさう言つて、涙をホロホロこぼしてゐました。
先生は離れに大の字に寝転んで、しきりに弟息子の名を呼んでゐました。
「何だね、先生?」
「姉ちやはもう見えねえか?」
「うん、もう行つたでなア」
私は妙に悲しい気持でした。先生の心が判るやうで‥‥とてもお通夜のやうに淋しい晩でした。
野風呂にはひつてゐると、酔つぱらひの村長さんが大きい声を張りあげて、
「かんなめ[#「かんなめ」に傍点]さんや、娘さ芽出度かつたなア、うちも末娘が此間のこと、嫁入つたが、親といふものはたいていな骨折りぢや」
お父つあんは沈黙つて煙管を叩いてゐます。
「まア、はひつて一杯召し上るベア」
お母さんが酒でも燗徳利に入れてゐるのでせう。ドクドク音がしています[#「しています」は底本では「してします」]。
いつたい、こんな貧しい村はどうなつて行くのでせうか?
写真二枚入れておきます。
すつかり山の中の女になつてゐるでせう。この写真については面白い話があります。村長さんの家の、長男氏が焼いてくれたのですが、これは×大学生で、実に厭な部類の男です。二枚写真を焼いてもらつた為に、毎日夜になると私の部屋の前で口笛を吹きます。この谷間の村では、男が女を呼ぶのに口笛でもつて合図をするのでせうか、あんまりやかましいので、「もう沢山ですよツ!」つて呶鳴つてやるんです。
だつてその口笛が、守るも攻めるもくろがねの‥‥つて云ふのや、俺とお前はかれ芒きの唄なんです。ね、厭になつてしまひますわ。折角の美しい谷間の風景も、このダブダブな神経を持つた青年がこはしてゆきます。
お臍までとゞくやうなカレツヂ・ネクタイをして、角帽なんぞ被つた姿で、村の娘を釣るといふのですから、大したものです。
まるで、美文書簡集を、まる写しにしたやうな手紙をもらひました。
こンな人を見ると、やつぱり都会は田舎の人にはいゝ土地ではないと思ひます。土をみつめて、朝から晩まで平凡に暮してゐるお百姓を見ると、私は心から頭がさがります。
秋の展覧会も間近ですが、勇兄さんのお仕事はどうですか。今年はモデルをおつかひになりまして? 此間勇兄さんが、絵の具代が残つたからつて、私にお小遣ひ[#「お小遣ひ」は底本では「お小遺ひ」]を少し送つて下さいました。お礼言つておいて下さい。私は何でも言へる貴女を持つてゐることを、とてもうれしく思ひます。体はやつぱり安静にしてゐた方がいゝやうです。踊つて帰つて来ましたら、少し頭がグラグラしました。
夕方、桃の葉を入れた野風呂にはひり、早くから床へもぐりこみました。
離れの先生は夜中詩吟ばかりしてゐます。辛いのかもしれません。そのうち――。
[#地から2字上げ]かづ子
百合江さま みもとへ
底本:「林芙美子全集 第十五巻」文泉堂出版
1977(昭和52)年4月20日発行
初出:「令女界」
1931(昭和6年)10月号
※疑問点の確認にあたっては、「青春」実業之日本社、1940(昭和15)年4月3日9版発行を参照しました。
入力:林 幸雄
校正:花田泰治郎
2005年6月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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