もういちど、メルシ・ビヤン! やつぱり都会の虫は仕様がありません。ボンボンをひとつ口にはふりこんだら、ボンボンのやうな涙がこぼれました。こゝの人達にもお菓子をわけましたが、先生の外は、みんな苦味いと言つてよろこびませんでした。
 海の風景は、私のお部屋に、小学校の先生は、勇兄さまの絵を見て、もう三十を過ぎた方なのに、これから絵を勉強に東京へ出ようかしらと言つてゐました。
 娘さんはせつせと古風なお嫁入りの着物を縫つてゐます。そのそばで弟の方が、誰かに手紙でも書いてゐたのでせう。
「おまへは勉強させてもらつて幸福だでなア、姉ちやアは、着物ばかし縫つて、手紙ひとつ書けねどもさ」
 弟の方は沈黙つて鉛筆を嘗めてゐました。
 姉娘の方は、水つぽい眼をしてぼんやり何か一人ごと言つては針を動かしてゐます。忘れられたやうなこの谷間の風景の中にも、此様な悲しい汚点があるのです。
 シネマなンぞはなほさらのこと、一年に一度か二度の村芝居もみかねる人達が多いのです。だから、勿論、村のうちは、現金なんてはめつたに持つて歩く人はなくて、卵と石油と交換したり、塩鮭と蕎麦粉とかへたり、淋しい村です。
 そのうち、写真でもとつて送りませう。
 くれ/″\も皆様によろしく、私の体はとても元気、少し太つたと家の人達が言ひます。
 此間も、家の人達と一緒に眼を覚ましたので、朝の御飯が済むと、涼しい落葉松林の中へ散歩して、一人で自分の影を見ながら汗ばむほど踊つてみました。
 やつぱり、東京へ帰つて舞台へ立つてみたい気持です。エマ子さんや、滝子さん、雅子さんなんぞ、みンな上達なすつた事でありませう。私一人で残された者みたいで淋しい気もします。朝の落葉松林は無人境です。一人で自分の影と踊つてゐるかづ子を考へてみて下さい。
 私、早く病気をなほさうと思つてゐます。
 勇兄さまにもお会ひしたい、いつもお手紙が電報のやうに短いので、本当はとても淋しいンです。恨みつぽい事を言つて済みません。チヨコレートは楽しみに長く食べませう。
 よろしく。
[#地から2字上げ]かづ子より
  百合江さま

 第四信
 口髭のこと、いまごろ勇兄さんから、何と愛すべき髭のかづ子よつて来ました。だから私お返事をあげたのです。
 口髭のある私に、思ひをかけてくれた兵隊さんの顔が忘れられませんつて。その兵隊さんは、一寸勇兄さんに似てゐま
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