出しました。
「僕が乗合まで荷物持つてあげよう」
 眉の太い学生が、私の涙に驚いたのでありませう、ステツキに風呂敷包を両方から通すと、先に立つて歩いてくれました。
 だらだらとした砂利道を降りて、丁度振り返ると、駅のホームが眉の上に見えるところで、上の学生達が、両手を振つて冷やかしてゐました。
「オーイ、よく似合ふぜツ」
「そのまゝお嬢さんとこへ泊つちや駄目だよツ!」
 私は沈黙つて小さくなつて歩いてゐました。
 坂が切れると、不意に大きい激しい流れがあつて、橋の向うの藁屋根の軒に、赤い旗が出てゐました。
「あゝまだゆつくり間に合ひますよ」
 それから、何かまだその学生は私に言つたのですが、黒い下りの貨物列車が、トンネルを出て来たので、私にはよく聞きとれませんでした。
「えゝツ、間に合ひますか?」
 すると、その学生は汽車の中の兵隊さんのやうに顔をあからめて私に言ひました。
「君、鼻の下に煤がついていますよ」
 私はどんなにか恥かしかつたでせう。バスケツトを降ろして急いでコンパクトを出して顔を写して見たら、まア、煤がまるで口髭のやうについてゐました。きつと貴女とお別れする時、泣いたまゝの濡れた顔をこすつたからでせう。それから、何だか変に呆つとして、私は、足を踏んだあの兵隊さんの皓い歯が、一寸なつかしいものに思へてなりませんでした。
 谷間の家では、不意に私が行つたので、驚いて掃除をしてくれるなぞ、大変いゝ人達ばかりです。又――。
[#地から2字上げ]かづ子
  百合江さま

 第二信
  大空の秋風高し何処にか失せにし夢のゆくへたづねむ
 障子をいつぱい開けて、寝床の中から空を見てゐると、山の肩の上を白い雲が風のやうにスイスイ流れて、貴女の好きだつたこの歌をつツと思ひ出しました。
 お元気ですか。
 私はいま大変幸福です。平凡な片隅の生活が、どんなに私を驚かせたでせう。私はいま貴女に、どのやうなお礼の言葉を差し上げたらよいかと迷つてゐます。
 埃を吸つて、黄や赤や紫の灯火にくだけた私のはかない踊り子生活は、もう夢のやうに遠くへ去つてしまつた感じです。私はなぜ此様に尊い平凡な生活を忘れてゐたのでせう。
 私の体は、日ましによくなつて行きます。肺は怖ろしい病気だなんて、私はよつぽど幸福な病気だつと思つてゐますわ。
 魚ツけのない谷間の日々、私は新鮮な野菜ばかりを食べて別
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