つたまゝ空に浮いてゐる広告球に呆んやり眼をやつてゐる。別れたところで、本気になつて殴つてくれる男もみつかりさうではなかつたし、抱き起こしてくれる男もなほさら見つかりさうもない。嘉吉のいまの胸の苦るしさよりも、あの昼の月のやうな広告球を見てゐると自分の孤独さに、なか子は甘くなつて涙が溢ふれるやうなのであつた。
「ねえ、私、帰へるの止めるわよ!」
「‥‥‥‥」
「もう、一緒にゐますよ、わかれるにしたつて、何とか、お互ひがもつとよくなつてからでないと、まるで、お化けの引力みたいに、ずるずる引づりあつてるみたいぢやないの」
なか子は起き上ると、黙つてゐる嘉吉と並んで窓ぶちに腰をかけた。俯いて電車道に雲埃を払らつてゐる良人の頭の上の痩せてひらひらしてゐる手へ、自分の小さい櫛を持たせてやつた。嘉吉の手は櫛を受けとると、あゝこれはいゝものをくれたとその小さい束髪櫛で、がりがり音をたてゝ頭の地を掻き始めるのであつた。
なか子は、明日は明日のことだと、嘉吉の疲れた肩の上にばらばら埃のやうに散りかゝる雲埃の一つ一つをぢつと眺めてゐた。
底本:「林芙美子全集 第十五巻」文泉堂出版
1974(
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