着物雑考
林芙美子

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)袷《あわせ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)なりふり[#「なりふり」に傍点]を
−−

 袷《あわせ》から単衣《ひとえ》に変るセルの代用に、私の娘の頃には、ところどころ赤のはいった紺絣《こんがすり》を着せられたものですが、あれはなかなかいいものだと思います。色の白いひとにも、色の黒いひとにも紺の絣と云うものはなかなかよく似合ったもので、五月頃の青葉になると、早く絣を着せてくれと私はよく母親へせがんだものでした。洗えば洗うほど紺地と白い絣がぱっと鮮かになって、それだけ青葉の季節を感じます。
 昔、下谷《したや》の下宿にいました頃、下宿のお上《かみ》さんが、「あのひとは染《そめ》のいい絣を着ていたからいい家の息子に違いない」なぞと、部屋を見に来る学生のなりふり[#「なりふり」に傍点]を見てこう云っておりましたが、なるほど面白いなと思いました。
 一口に紺絣と云っても染のいいのはなかなか高価でしたが、その頃は仕事も現在のようにラフ[#「ラフ」に傍点]でないせいか、たいして高価でない絣でも、随分洗いが利いて丈夫だったものです。――私は、どうもセルを好きません。何だか小柄でむくむくしていますせいか、セルを着るかわりに、袷から単衣にすぐ変りますが、いまでもセルがわりに紺絣を着ております。セルでも、昔は柔かい薄地のカシミヤと云うのがありましたが、あれは着心地がよかったものです。でも、カシミヤは大変高価だったので、清貧楽愁の私の家では、私に紺絣ばかりを着せてくれました。
 男のひとでも、この頃は段々洋服がふえましたせいか、染のいい絣を着ているひとを見なくなりましたが、日本の青年には紺絣は一つの青春美だとさえ思います。私たち娘の頃、紺絣を着た青年はあこがれの的であった位です。これ位、また、青年によく似合う着物は他にないのですから、絣屋さんの宣伝をするわけではありませんが、もっと紺絣を着て貰いたいものだと思います。洗いざらした紺絣は人間をりり[#「りり」に傍点]しくみせます。
 この頃は人絹《じんけん》が大変進歩して来て、下手なメリンスを買うより安いと云うのですから、田舎出《いなかで》の娘さんたちは、猫も杓子《しゃくし》もキンシャまがいで押しているようです。人絹もいいにはいいでしょうが、もっと、どうにかならぬものかと考えます。如何《いか》にも国粋主義のようですが、もっとシャッキリしたものに眼をつける娘さんたちがないのを残念に思います。趣味をもっと優しく内気にしてほしいと思います。この間、ある百貨店へ木綿を一反《いったん》買いに参りましたが、木綿のいいのが少しも見当らないのでガッカリしました。木綿で拾円もするようなのはなくなってしまったのでしょう。呉服部のところを歩いていますとまるで博覧会へ行ったようなケンランさで、飛びつくような柄《がら》がすこしもないのです。年齢のせいばかりとは云えないほど、色々な呉服ものの染の悪さに、今さら変ったものだなと愕《おどろ》いてしまいました。おなじ紅色にしても、昔の紅色は奥行きがあったように思います。世の中が進歩しているはずなのに、柄模様ときたら、よくもあれだけセツレツに出来たものだと愕くほどでした。――先日も座談会で山脇敏子《やまわきとしこ》さんが話されたように、いまの絹物にはのり[#「のり」に傍点]の多い地《じ》へゴム印を押したような模様が多いのです。立ちどまってみているひとを見ますと、どこがいいのかしらと思う位です。そんな、デパート選出の柄にみとれている奥さんたちの足袋《たび》ときたら、うす汚れていて、下駄は乱暴なものだったりします。下駄と云えば表つきはきらいです。とくにこの頃のように流行《はや》る靴の型はどうも好きません。足袋は木綿でコハゼがきつい位なのが私にはあいます。絹の着物の場合はキャラコをはきますが木綿が一番はき心地がよくて好きです。
 昔、(よく昔の話を云いますが)ヒフ[#「ヒフ」に傍点]〔被風〕
と云うものが流行っていました。胸に房をつけて随分いいものだったと思います。あんなのがもう一度娘さんたちの間に流行ってくれないものでしょうか。メリンスとか銘仙《めいせん》のようなもので不断着《ふだんぎ》にヒフをつくって着るのは温かでいいだろうと考えます。私はいい着物について語るしかく[#「しかく」に傍点]を持ちませんが、不断着はよそぎ[#「よそぎ」に傍点]よりも、もっと考えてもいいと思います。筒袖《つつそで》の袖口を花のように絞って着せられていた頃もありましたが、洋服の合間には、そんなロマンチックな不断の着物もあっていいと思います。
 街を歩いていますと、この頃は初夏だから、みんな薄いショールをして、帯を高く締めて、腰の線まるだしのお尻の辺へ、大きなチュウリップの模様なぞつけた女のひとを沢山みますが、私はきらいです。利口な女のひとは帯をひくくしめて下さいと云いたい。娘さんだって帯はゆったりとひくく締めている方がたっぷりして美しくみえます。
 それから、もうひとつ女の洋装のこと、洋服を註文するひともされるひとも気がついているのかいないのか、どうなのかなと考える事は、娘の躯《からだ》も年増《としま》の躯もごっちゃ[#「ごっちゃ」に傍点]だと云うことです。
 巴里《パリ》から帰りました時、一番おかしかったのは女学生がセーラアのスカートをかかとの辺まで長くして、腰の下ですぼんだ年増のスカートをはいていたことです。女学生はやっぱり大根足のニュウと出た短かいスカートの方が神聖で愛らしくていいと思います。十八、九歳頃までは少女型のあどけないデザインの服をすすめたく思います。それと反対に、いい年増《としま》が女学生のようなサキュウラの短かいスカートをひらひらしていらしっしゃるのをいまでも見かけますが、年増の方は腰の線の出た長い服を召して下さいと云いたいのです。お化粧のことも、娘さんはなるべく清楚《せいそ》にと思います。映画の真似なのか、剃《そ》った眉《まゆ》の上に眉を描いていて、四本の眉を持った女のひとに時々会いますがぞっ[#「ぞっ」に傍点]としてしまいます。アイシァドウも、よき家庭の娘はつけません。美容師の方たちにおこられそうだけれど、日本の西洋流の化粧は田舎っぺだと思います。(と云って、お前はどうかと云われたら、私は大田舎っぺだと逃げておきます。ただしその田舎っぺは西洋流でないだけです)
 利口な女のひとの何気ない化粧と何気ない趣味の着物にあうと、浸《し》み透るものを感じます。何も高価なものばかりが高い趣味ではないのですから、もっと、若い女の方たちが個性のある好みを持ってほしいと思います。さてまた、絣の話になりますが、染のいい絣を着るひとが沢山にならないものでしょうか。さつま絣、久留米《くるめ》絣なぞは勿論《もちろん》しっかりしたものでしょうが、かえって、場違いの土地でいい絣をつくっている所を田舎へ旅してみかけることがあります。紺絣の外《ほか》に好きなのは鹿児島の泥染《どろぞめ》の大島です。洗うほどきれいです。私はかっこう[#「かっこう」に傍点]があまりよくないので手固いものを愛します。――さてそろそろ夏が来ますが、浴衣《ゆかた》を着られるのはまた何としても愉《たの》しいことです。何が何だと云っても浴衣の着心地は素敵です。巴里ではどんなにか浴衣が恋しかったものでしたが、おそらく、浴衣のように肌ざわりのすずやかな着物は他の国にあまりないでしょう。二、三度水をくぐらせた頃の浴衣はなかなかいいし、柄は単純なのが好きです。
 よく、呉服屋では高価な衣裳祭はしても、浴衣祭と云うのをしませんが、浴衣こそは、ブルジョワもプロレタリアも祝っていいと思います。ただし、不思議に浴衣だけは、「やはり野におけ蓮華草《れんげそう》」で、昼間の外出着にならないのが残念です。浴衣に襦袢《じゅばん》の襟《えり》を出し、足袋に草履《ぞうり》をはいたら何ともなさけない姿になりましょう。
 夏になるとあっぱっぱ[#「あっぱっぱ」に傍点]と云うのが流行りますが一風景です。なかなかいいと思います。一度着てみたいと思います。だが、やっぱり私はみえ坊[#「みえ坊」に傍点]だから、「層々として山水秀ず、足には遊方の履《くつ》を躡《ふ》み、手には古藤の枝を執《と》る」の境地をもとめてりりしい着物を愛します。あっぱっぱ[#「あっぱっぱ」に傍点]も随分りりしくはありますが、そのりりしさよりも、浴衣に襷《たすき》がけのりりしさを愛します。浴衣の女が手足の爪《つめ》をきちんと剪《き》っているのはなかなか涼しいものではありませんか。――さてこうして書いてみると、私の趣味も至って平凡ですが身にあったことが一番でしょう。――高価な衣裳の趣味はいずれ誰かおかきになるでしょうから……。
 私はいったい木綿主義ですが、絹物でも白地を買って自分で色や模様を工夫して染めに出すのが好きです。なかなか愉しみです。女にとって着物の話位何よりもたのしいものは他にありません。――



底本:「林芙美子随筆集」岩波文庫、岩波書店
   2003(平成5)年2月14日第1刷発行
底本の親本:「林芙美子全集」文泉堂出版
   1977(昭和52)年
   「林芙美子選集」改造社
   1937(昭和12)年
入力:岡本ゆみ子
校正:noriko saito
2008年3月4日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
終わり
全1ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 芙美子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング