とり」に傍点]では、部屋がふさがつてもうけ[#「もうけ」に傍点]にもならないのでこゝでは厭がりますが、少しお出しになればいゝでせう」
 と云ふ事で、船着場近かくの海氣館と云ふのに泊る。三原館よりはましでせう。一望にして海が見えました。水が不自由なところなので、風呂も牛乳風呂とかで這入つて氣味が惡い。夕食は湯豆腐が出て驚いてしまひました。これで參圓五拾錢です。雨にたゝられたと云ふかたちです。樂しみがないので、按摩を呼んで貰つたのですが、これが八十歳とかになるお爺さんで、休みながら揉んでくれるのです。どうも應へないのですが、此爺さんの話はとても面白いので、途中何度か休んで煙草を吸つて貰らひながら揉んでもらひました。
「私は二十八の時、荷物船に乘つて、靜岡から出たので厶《ござ》いますが、二日目に嵐でもつてあなた途中房州の布良汐《めらじを》と云ふところに流されて、三日目にやつと、大島の元村へ着いたので厶いますよ。當世ぢやァお客樣ばつかり乘せる船が出て便利になつたもので厶いますねえ」
「便利は便利だけど、元村と云ふところは少し荒《す》さんでますよ」
「えゝもう進んだもので厶いますよ、電氣もついてゐるので厶いますから」
 で、私は苦笑しながら、子供のやうな此お爺さんの生活を訊いてみますと、息子が東京にゐるのですが、住所も判らず、晝は各村々の官主か何かに頼まれ、夜は按摩をするのだと云つてゐました。
「官主をしながら按摩をすると云へばをかしゆう厶いますが、これでも人樣に迷惑をかけず、自活をしてをるので厶いますからへえ、百姓も少しはやつてをりますが、官主をしてをりますので下肥《しもごえ》だけはいらはない事にしてをります。……淋しいもンで厶いますよ……」
 此按摩は繁太郎と云ふのださうです。生れて始めて私は此樣に長命な按摩さんに肩を揉んで貰つたので長生きするだらうと思つてをります。

    三信

 大島へ來て始めてカラリとした天氣、今日こそ歩けると、三日目の朝です。歪んだ机の上に地圖を擴げて色々な計畫をたてゝ見ました。
 私の番に當つた、島の娘だと云ふ、お八重と云ふ女が「波浮はとてもいゝところです。是非お出でになつた方がいゝですわ」と云ふので、次手の事にと、亦乘合自動車に乘つて波浮への道を北側の汀を見ながら行きました。どこへ行つても椿です。血のやうな花がいつぱい盛りでキレイでした。此乘合自動車は、アワイ茶屋と云ふところまで行くのださうですが、昨日の大雨で崖が崩れて通れなく、手前のアジコノ原茶屋と云ふところまで行つてくれましたが、意地の惡い事には亦雨が降り出してしまひました。此茶店まで乘合で二十五錢です。掘立小屋のやうな茶店には繪描きのやうな青年《ひと》がひとりで雨宿りして牛乳を飮んでゐました。
 自動車に乘つてゐる間は、それでも二三人の乘客があるので陽氣に話して來ましたが、ポツンと茶店に降りると、雨の中を二里近く歩くのがおつくうになつて妙に陰氣になつてしまひます。
 牛乳を飮んで、乘り合はせた東京の小官吏らしい人と、トボトボ雨の中を歩いて、濱ぞひの道を行つたのですが、何もかもじめじめして、只砂道を行く私の運動靴だけが白く眼に沁みるきりです。
 やつと、アワイ茶屋に着くと、お八重と云ふ女中が波浮へ電話でも掛けてくれたのか、港屋と云ふハッピを着た宿の若い番頭がむかへに來てくれてゐました。
 さの[#「さの」に傍点]濱を通り間伏《まぶし》へ出ると、此邊から風景が雄大になつで來て、雨も上り陽が照つて來ました。
「波浮はとてものんびりしてゐて、人間が呆んやりいゝ氣持ちになつてしまひます」
 番頭の言葉に訛りがあるので「どこなの」と訊いてみると「九州の佐賀です」と云つてゐましたが、
「とにかく島へをれば、食つてだけはゆけますので、東京へなぞ出たくありません」なぞとも云つてゐました。間伏からまた乘合自動車なのですが、客が仲々集らないので、道連れの小官吏と番頭と、三人で自動車を走らせて貰らひましたら、此官吏さんは、私の掌に乘合ひの三十錢だけをのせて差木地村で降りて行つてしまひました。差木地村は岡田村とはまた違つた鄙びた村で、眉の濃い子供達が、椿のトンネルの道で犬を追つて遊んでゐるのなぞ、ひどく自然な美しさです。
 間伏から、波浮まで、自動車は借りきりで壹圓五十錢です。此道はかなり遠いと思ひました。波浮の港は瀬戸内海を小さくしたのに似てゐて、とても可憐な港です。大島では、こゝが港らしい港で、波浮は村と云ふよりも町と云つた感じ、家が揃つてしつかりしてゐました。
 水産試驗所の前から渡しに乘つて、灣の向う側へ着きますと、町の上に港屋と云ふ宿がすぐ眼に這入ります。大島へ來て、始めて宿らしい宿で、中二階のやうな部屋では隱居らしいひとが襖の切り張りなぞをしてゐました。二
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