だけに實に素晴らしく隨分いまゝでに色々な風景も見ましたけれど、此樣に美しい山峽をいまだかつて知りません。
 下田の町を出て、湯ヶ野を越すあたりから、山の屋根が濶達になつて、山肌一面山櫻の谷があつたり、瀧を眼近く眺めたりしました。自動車道は、割合廣いので、乘物にも乘れないなぐれ[#「なぐれ」に傍点]た旅びとなぞが、トンネルの入口なぞから、ひよいと出て來たりして愕かせる時があります。
 伊豆の此旅は、同じ伊豆の中でありながら、大島の青葉とくらべて、瞼に緑が沁みると沁みないだけの違ひのやうです。湯ヶ野から湯ヶ島へかけての谷間の樹のしたみちは、顏も手も染まりさうに薄い緑で、笹藪のこんもりしたのなぞは、全く青春を包んだ喪の小屋のやうで、あの中を覗いたら、火花のやうなかげろふ[#「かげろふ」に傍点]が散りさうです。私は、此樣に小説的な風景を見た事がありません。
 栂や栗、柳、松、櫻、杏、桃、梅、椎の木や楡《にれ》の木、そんなのが何でもあるのでせうが、山を越えても越えても美しい樹が續いてゐます。

    五信

 まるで、何かを追ひ求めてゐるやうに、東京にも歸へらず、途中の湯ヶ島で乘合自動車を降りてしまひました。此青葉の風景に醉つてしまつたのでせう。――湯ヶ島は谷底に家があつて、カジカでもゐさうな落合川が、谷の峽《あひだ》を白く流れてゐます。
 落合樓と云ふのに泊りました。こゝでは始めて灯の下に本を出して讀みたい氣持ちになりました。――温泉が豐富で人氣のない夜更けの風呂場に伸々と體を沈めてゐると、生きてゐる愉しさが、まるで風のやうに吹きあがつて來ます。あんなボコボコ石の煙の中へは、どんな考へで死に行くひとが多いのか、今日の新聞を見てゐると、三原山に飛びこんだ青年の事が出てゐますが、全く不思議な事だ。せめて死ぬときだけでも風景の美しいところに身を置きたいものです。
 溪流の音が、しみじみ山里へ來てゐる感じです。夜更けて珊瑚集を一册讀了しました。詩集の讀めるやうな風景と云ふものは、中々に得難く、眠るのがをしいので、枕元にヱハガキなぞを並べて子供のやうに愉しむのです。
 私は旅へ出ると、夜は早々に眠れるのですが、此樣に眠るのがをしいと思へるのは、あんまり靜かで落ちついてゐるからでせう。
 旅果てと云つた氣持ちです。もうこれでおしまひと云つた感じで、夜明けも早々に起きて、温泉に這入りに
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