したい心組です。だが、一日か二日の旅だつたら、無理にでも、着いたらすぐ御神火を越して波浮へ出て泊りたいと思ふ位でした。
疲れてヘトヘトになつて宿についた時の人情と云ふものは、中々身に應へるものですが去りぎはも亦、中々忘れがたいものです。
海氣館では八疊の部屋だつたのですが、二晩めには隣室の六疊にうつされて、今まで居た部屋には三人連れの新らしいお客樣で、中々やゝこしいやりくり[#「やりくり」に傍点]です。
此新らしい隣室のお客樣も、襖一重で、子供連れなせいか、すぐ子供達と仲よくなつてしまつて、夜更けまで、女の子たちと話に花が咲きました。トランクに五六册も詰めて來た本なぞも、一度も展いて見る事なく、只下着を着かへるだけで、亦々無駄な荷物になりさうです。
早朝五時には、下田へ行く東京灣汽船が出るので、次手に下田港へ行つてみるのもいゝだらうと、宿には宵の口に勘定を濟ませておきました。鑵へ這入つた椿油の小さいのを七ツ買つて來る。油屋のおしゆんさんと云ふのが美しい娘だから見てゐらつしやいと云はれたが、めんどくさくて船着き場の店で用をたしてしまひました。
早朝三時半頃には女中が下田へ行く客を起こしに來ます。雨戸を開けると、硝子玉のはいつた櫛のやうな汽船が沖に止つてゐて、汽笛を鳴らしてゐました、まだ暗いので、船の電氣がキラキラ波に光つて、まるでお月樣が落ちてゐるやうだと、隣室の子供達が云つてゐます。朝、牛乳だけと頼んでおいたのに、牛乳も忘れられて、兎に角波止場へ出ました。東京から來た客を、ハシケで一々運んでから、下田行きの客が乘るのですが、下田行きの客も仲々相當な行列をつくつてゐました。迎へと送りを兼ねて、宿々の客引きが提灯をさげてズラリと波止場へ並んでゐるのですが、會話が面白い。
「××屋で厶います。オヤ素通りか」
「東京の客人は、宵越しの辨當を持つて山へ登るんだから、ガツチリしてゐるよ」
あんなザツパクな人情では、むしろ宵越しの辨當でも持つて御神火を越した方が、よつぽどケンメイだと思ひます。島へ來て、三圓も四圓も出して湯豆腐を食べさせられるに至つてはあきれてしまうより仕方がない。――かうしてふつと憶ひ出してみると、我々にはやつぱり岡田村が素朴でよかつた。村は竹が澤山出來るのか、竹屋さんがかなり澤山ありました。石の段々の途中にコンクリートの雨水を貯めるところがあつて
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