な音をたてて蕎麦をすすり始めた。それが、説明もつかないほど私にはすがすがしかった。私は鍋焼を食べ終ると、金を払いながら、「この前を通っているバスはどこへ行ってますか」と尋ねた。「玉《たま》の井《い》まで通ってます」と、若い衆が灯火をつけながら教えてくれた。「浅草の方へ行ってますか?」ともう一度尋ねると雷門《かみなりもん》の前で止まると云うことであった。私は「御馳走様《ごちそうさま》」と云って戸外へ出て、明るいうちにと慾《よく》ばって、また、その辺をぐるぐると歩いてみた。宇野浩二《うのこうじ》さんの家の前へ出る。宇野浩二さんとは此様なお住居《すまい》にいられるのかと、私は少時立って眺めた。どうした事か表札がさかさまになっている。二階の窓にはすだれ[#「すだれ」に傍点]がさがっていた。塀の中により添ったような造りで、大きく繁った八ツ手があった。隣りは何をする家なのか、ビール箱のような木箱が、宇野さんの石塀の方まではみ出て、自転車が二台路上へ置いてあった。
宇野さんの通りをT字型につきあたった処に蔦《つた》の這った碁会所《ごかいじょ》のような面白い家があって、貸家札がさげてあるのが眼にはいった。私はもう暗くなりかけたのに、「貸家がありますそうですが、広さはどの位なのでしょう」と尋ねると、夕飯時の忙がしさで、そこのお神さんはあんまりいい返事はしてくれなかった。貸家は小さい家らしかった。
「そうね、六畳に四畳半に……」と話して貰っているうちに、お互いに貸す意志も借りる意志もないのに、家の説明をしたり聞いたりすることは妙なことだった。私はお神さんの話を呆《ぼ》んやり聞いているのだ。
*
そこを出ると、すっかり暗くなったので、浅草へ出てみることにした。浅草へ出るとさすがに晴々《はればれ》して池《いけ》の端《はた》の石道をぽくぽく歩いてみた。関東だきと云うのか、章魚《たこ》の足のおでんを売る店が軒並みに出ている。花屋敷をまわって、観音堂《かんのんどう》に出て、扉《とびら》の閉ってしまった堂へ上って拝んでみた。私の横にはゲートルをはいた請負師《うけおいし》風の男が少時おがんでいた。観音様は夜通しあいているのかと思ったら、六時頃には大戸《おおど》が降りてしまうのであった。仲店までには色々な夜店が出ている。海苔《のり》ようかんを売っている若い男は国定忠治《くにさだちゅ
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