母さん、もう寢た?」
「はい、さつきおやすみになりました……お起しいたしませうか?」
「まアいい。二階は蚊帳を吊つたかい?」
「はい、さつきお吊りしておきました」
周次が二階へ上がつてゆくと、蚊帳の裾をはらふやうな凉しい風が吹いてゐた。ああ吾家の風だな……多摩川ではむしむししてゐたけれど、吾家はこんなに凉しい風が吹く。周次は縁側の手すりへY襯衣《シヤツ》やづぼんをひつかけながら、裸になつていつた。
月がはつきりしてゐる。小さい月だつたが庭のすずかけの梢の向うにまるで置いたやうに澄んでゐた。
「お浴衣をどうぞ……お風呂はどうなさいますか?」
東京訛りのある低い聲だつたが、何となく誘はれる聲音だつた。小柄で鼻の横にほくろがあつて、眼の大きい娘だ。
「暑いねえ……」
周次が暑いねと云ふと、女中のツヤは周次を見上げるやうにして、
「とても暑いんで、私、さつき水道の水を浴びましたの……」
「へえ、そりやあ、でも毒だよ……」
「でも、今日は特別に暑いんでございませうね」
「ツヤは訛りがあるけど、何處だい、國は? 新潟?」
「いいえ信州でございます……」
「へえ、信州、さうかねえ……」
「信
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