をばさま、――私、いまになつて罰があたつたと思ひますわ……」
「何で?」
「どうしてだつて……」
 ツヤは冷たい紅茶を運んで來た。何時の間に白粉を塗つたのか。ツヤは綺麗に化粧してゐた。
「今日はどこかへいらつしやいましたの?」
「ええ、久しぶりの日曜やさかい、このひと、今日は奮發してくれはつて、家ぢゆうで多摩川へ行きましたの――」
「ああ、多摩川、あすこ、いい處ですわね……」
 くみ子がちらりと周次を眺めた。ツヤが宿屋で貰つて來た小さい團扇で蛾を追つてゐる。くみ子は、手荒く蛾を叩きつけてゐるツヤの手元をぢつとみてゐた。
「まア、女子はんの苦勞も、旦那さんの亡くなんなさつたことでとどめをさしますさかい。もう、自分で一人食へたら、呑氣に獨身でいつた方が得だつせ。私かて、もう十三年やけど、呑氣やつたなア……」
 母が、とどめをさすと云ふ言葉に妙に力を入れて云つてゐる。
「ええ、でもをばさま、うちかて、まだ二十でつせ……心細いわ……」
「さうかも知れんなア……そやけど、まア、當分は尼さんになるのもええもんでつせ」
 くみ子は默つて扇子をつかつてゐた。
 周次は二階へ着替へに行つた。すぐツヤが上つて來た。
「ねえ、多摩川の螢をみせてあげませうか?」
「とつて來たのかい?」
「うん」
 ツヤは子供のやうな亂暴な返事をして、袂《たもと》から紙へつつんだ澤山の螢を出してみせた。赤い尻尾をした螢が、すぐピンと羽根を擴げて暗い方へさつと四五匹飛んで行つた。



底本:「女優記」新潮社
   1940(昭和15)年8月13日発行
   1940(昭和15)年9月8日40版
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:林 幸雄
校正:花田泰治郎
2005年8月20日作成
青空文庫作成ファイル:
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