が射している。こちらは深い蔭になって、長い縁台に眼鏡をかけた男が口を開けて昼寝をしている。氷の旗のゆれる色彩。眼をこらして四囲をみているのだけれども、この景色も、汽車の中では忘れてしまうに違いない。袂の中へがまぐちを落して、ひそかに氷とラムネ代を勘定する。
中根さんも東京へ行きたいとぽつりぽつり話しているけれども、私はうわのそらで、銅貨を数える。昔は仲が良かったと云うだけで、意味もなく公園の景色なぞを眺めていなければならないつまらなさに哀しくなって来る。
氷とラムネ代を払って、四銭残る。みえ坊で嘘つきで、ていさい[#「ていさい」に傍点]のいいことばかりで、中根さんに旅費を借りる事を断念。――昼前に橋本へ帰り、勇気を出して、借銭を申し込んで二円五十銭おばさんより借りる。二人の女学生は急に軽蔑《けいべつ》したような眼で私を見ている。この眼が一等いやなのだ。私はまるで犯罪人になったようなうらぶれた気持ちで昼の駅へ行く。
羊かんを買わないで、弁当を買う。三等の待合室で弁当を食べる。売店で青いバナナを二本買う。五銭也。
少しばかりの金が、こんなに勇気づけてくれる。公園でのびのびとラムネを飲めばよいものを、銭勘定をしながらびくびくして飲んだ事に腹立たしくなる。中根さんは別に厭な女でもないのに、吐気がする程厭に思えて来る。御馳走をした上に、びくびくして、中根さんにへりくだってものを云っている自分にやりきれなくなっていた。小説はうれるの? いいえ売れないのよ。どんなものを書いているの? どんなものって、童話みたいなものよ。一々あやまって返事をしていたようなみじめさが話していながら、ああ駄目だ駄目だと中根さんに押されて来る。奴隷根性。いつもぺこぺこ。何とかして貰うつもりもないのに笑顔をつくってへりくだってみせる。
詩や小説を書くと云う事は、会社勤めのようなものじゃありませんのよと心の中でぶつくさ云いわけしている。
尾道へ着いたのが夜。
むっと道のほてりが裾の中へはいって来る。とんかん、とんかん鉄を打つ音がしている。汐臭い匂いがする。
少しもなつかしくはないくせに、なつかしい空気を吸う。土堂の通りは知ったひとの顔ばかりなので、暗い線路添いを歩く。星がきらきら光っている。虫が四囲いちめん鳴きたてている。鉄道草の白い花がぼおっと線路添いに咲いている。神武天皇さんの社務所の裏で、小学校の高い石の段々を見上げる。右側は高い木橋。この高架橋を渡って、私ははだしで学校へ行った事を思い出す。線路添いの細い路地に出ると「ばんより[#「ばんより」に傍点]はいりゃせんかア」と魚屋が、平べったいたらいを頭に乗せて呼売りして歩いている。夜釣りの魚を晩選《ばんよ》りと云って漁師町から女衆が売りに来るのだ。
持光寺の石段下に、母の二階借りの家をたずねる。びちょびちょの外便所のそばに夕顔が仄々《ほのぼの》と咲いていた。母は二階の物干で行水《ぎょうずい》をしていた。尾道は水が不自由なので、にない[#「にない」に傍点]桶《おけ》一杯二銭で水を買うのだ。
二階へ上って行くと母は吃驚《びっくり》していた。
天井が低く、二階のひさしすれすれの堤の上を線路が走っている。黄いろい畳が熱い位ほてっている。見覚えのある蓋のついた本箱がある。本箱の上に金光《こんこう》様がまつってある。行水から出て来ると、たらいの水に洗濯物を漬けながら、母は首でもくくりたいと云う。
義父は夜遊びに行って留守。ばくちに夢中で、この頃は仕事もそっちのけで、借銭ばかりで夜逃げでもしなければならぬと云う。
私は、帯をといて、はだかで熱い畳に腹這う。上りの荷物列車が光りながら窓のさきを走っている。家がゆれる。
押入れも何もない汚ない部屋。
(八月×日)
愛する者よ。なんじらこの一事を忘るな。主の御前には一日は千年のごとく、千日は一日のごとし。壁に張りつけてある古い新聞紙にこんな宗教欄がある。愛する者よ。か、汚穢《おえ》にまみれ、いっこうにぱっとしない人生、搗《つ》き砕かれた心が、いま、この天井の低い部屋の中で眼をさます。一晩中、そして朝も、休みなく汽車が走っている。魚の町と云う小説を書きたくなる。階下の親爺《おやじ》さんと義父は連れだって出たまま今朝も戻っては来ない。
朝日が北の壁ぎわにまで射し込んで暑い。線路の堤にいちめんの松葉ぼたんの花ざかり。煎《い》りつくように蝉が鳴きたてている。
昼過ぎの汽車で宮様が御通過になる由にて、線路添いの貧民|窟《くつ》の窓々は夜まで開けてはならぬ、と云うお達しが来る。干し物も引っこめるべし、汚れものを片づけるべし。母は物干台を片づけ、ぞうりをはいて屋根瓦の掃除をしている。宮様とはいったい何者なのか私達は知らない。何も知らないけれども尊敬しなければならないのだ。昼頃から、線路の上を巡査が二人みまわっている。
障子を閉めて、はだかで、チエホフの退屈な話を読む。あまり暑いので、梯子《はしご》段の板張りに寝転んで本を読む。風琴《ふうきん》と魚の町、ふっとこんな尾道の物語りを書いてみたくなる。
母は掃除を済ませて、白い風呂敷包みの大きい荷物を背負って商売に出掛ける。
階下のおばさんが、辛子のはいったところてんを一杯ごちそうしてくれる。そろそろ、宮さんがお通りじゃンすでエ……近所の女衆が叫んでいる。
轟々《ごうごう》と地ひびきをたててお召列車が通る。障子の破れからのぞくと、窓さきの堤の上に巡査が列車に最敬礼をしている。巡査の肩に大きいトンボがとまっている。羽根が白く透けてふるえている。汽車の窓の中に白いカヴァがちらちらして、赧《あか》い顔の男が本を読んでいたのがすっと過ぎ去る。
真実な一つのフイルムが、線路をすっとかき消えて行く。巡査が頭を挙げる。すばやく障子の破れから私は頭を引っこめる。
忍耐づよい貧民。力が抜ける。それきりの為に、また固く障子を閉めておく。負担になってもにこにこ笑って土下座している。只、それきりの生き方。何の違いが、一瞬の宮様にあるのだろう……。宮様は涼しい汽車で本を読んでいる。私は暑い部屋の中で、チエホフの退屈な話を読んでいるだけだ。
本箱の中に、古い私のノートあり。学生の頃の日記。大した事もなし。エルテルにのぼせあがっている感想。伊藤|白蓮《びゃくれん》のかけおち[#「かけおち」に傍点]をノラの如しと書いている。
当分はこのままで必死に小説を書いてみようと思う。
夕方より雨。母が、油紙を頭からかぶって戻って来る。手籠に、いちじくのはじけたのを土産に買って来てくれる。尾道では、いちじくの事をとうがき[#「とうがき」に傍点]と云うなり。
義父帰らず。
母は警察へあげられたのではないかと心配している。雨で涼しいのでノートに少しばかり小説めいたものを書きつけてみるけれども、すぐ厭になってしまう。大した事もないのだ。伊勢物語読了。
ものを書いて暮すなぞと云う事はあきらめる方がいい。どうにもものにはならぬ。作曲家が耳のないのを忘れていて、音色を空想するだけ……。孤独に流されているだけでは、一字も言葉は生れて来ない。海辺の町へ戻って、まだ私は海を見ない。
夜更けて義父が戻って来た。
クレップシャツの上に毛糸の腹巻きをしている風采《ふうさい》がどうもいやらしい。金もないくせに敷島をぷかぷかふかしていた。
東京は景気はどうかの。東京は不景気です。俺も今度こそ、何とかしようとは思うンじゃが、うまくゆかん……。
あんまり暑いので、母と夜更けの浜へ涼みに行き、多度津《たどつ》通いの大阪商船の発着所の、石段のところで暫く涼む。露店で氷まんじゅうや、冷し飴を売っている。暑いので腰巻一つで、海水へはいる。浮きあがる腰巻きのはじに青い燐《りん》がぴかぴか光る。思い切って重たい水の中へすっとおよいでみる。胸が締めつけられるようでいい気持ちだ。
暗い水の上に、小舟が蚊帳を吊って、ランプをとぼしているのが如何《いか》にも涼しそうだ。雨あがりのせいか、海辺はひっそりしている。
千光寺の灯が、山の上で木立の中にちらちらゆれて光っている。
(八月×日)
風琴と魚の町少しはかどる。
小説と云うものはどんな風に書くものかは知らない。只、だらだらと愚にもつかぬ事をノートに書きながら自分で泣いているのだからいやらしくなって来る。蚊が多いので夜は一切書けない。第一、小説と云うものを書く感情は存在していないのだ。すぐ詩のようなうたいかたになってしまう。物事を解剖してゆく力がない。愍《あわれ》むがよい。只、それきりだ。観察が甘く、まるで童話的だ。
東京へ帰るには、二十円も工面しなければならぬと云う事が頭にちらつく。人よりに非ず、人に由《よ》るに非ず、イエス・キリスト及びこれを死人の中より甦《よみが》えらせ給いし父なる神に由りて使徒となれるパウロ。小説を書く筆者の琴線がたかなることなくしては、神は人のうわべをとり給わずである。自分にそのような才能があるとは思えない。書いても、書いても突き戻されていることに赤面しないあつかましさ。しりめつれつな心理の底をくぐる。小さい魚の影を追うようなものだ。まことしやかに活字が並ぶ。血へどを吐いたものはみるにも読むにもたえぬ。警察の眼も光る。無政府主義とは唄ではないのだ。それを願う願いは、この世の何処かにあるのだけれども……。お伽《とぎ》の世界をねらう平和な獣だけの理想の天地。宮様がお通りになるからと云って、一日じゅう障子を閉ざして息を殺していなければならぬ私は階級なのだ。そして、宮様は一瞬にして雲の彼方《かなた》に消えてゆく人である。どうして、そのような人を尊敬しなければ生きてゆけないのだろう。
警備の巡査も生きている。肩にとまったトンボも生きている。障子の中には、無作法なはだかで、チエホフをぶらさげている女が立っている。
尾道へ戻った事を後悔する。
ふるさとは遠くにありて想うものなり。たとい異土《いど》の乞食《かたい》となろうともふるさとは再び帰り来る処に非ずの感を深くするなり。
死にたくもなし、生きたくもなしの無為徒然の気持ちで、今日もノートに風琴と魚の町のつづきを書く。
母も、もう一度、東京へ出て夜店を出したいと云う。義父と別れてさえくれれば、私はどんなに助かるだろうと思うけれども、母はこれもなりゆきの事故、いましばらく辛抱しなさいと云う。義父はまた今朝からばくちに出掛けてゆく。母だけが、躯をすりへらしてこっぱみじんの働きぶりなり。
只、母も私も、長い苦痛の連続のみにすがって生きているようなものなり。せめて、私が男に生れていたならばと思う。母の働いた金はみんな父のばくちのもとでに消えてしまう。
夜は母と二人で、夜の浜辺へ出て、露店でうどんを食べて済ませる。家にいると借金取りがうるさいと云うので、また、暗い海水浴。
海水は汚れてどろどろ、葬式の匂いがする。そのうち、ええこともあろうぞ……母がふっとそんな事を云う。私はさんばし[#「さんばし」に傍点]の方までおよぐ。燐が燃える。向島のドックで、人の呼んでいる声がしている。こんなことでは、何の運命もない、風琴と魚の町の原稿を東京へ持って行ったところで、ぱっと華咲くようないい日が来るとは信じられぬ。いまひといき、いまひといきと暗い冷い水の方へおよいで行く。
やがて、石段に戻って、素肌にぬるい着物を着る。濡れたものをしぼっていると、うどんのげっぷが出て来る。肌がぴいんと斂《しま》って来た気がする。自然な温かい気持ちになり、モウレツに激しい恋をしてみたくなる。いろんな記憶の底に、男の思い出がちらちらとする。
家へ戻ると、階下はみんな出掛けて留守。階下のおばさんも、このごろは昆布巻きの内職をなまけて遊び歩いているとの事なり。
荒破屋《あばらや》同然の二階。裸電気の下で、母と私ははだかになって涼む。燈火の賑やかな上り列車が走って行く。羨《うらや》ましい。
どうしても東京へ行きたいのだけれども、いまがいま、二十円の金つくりは出来かねると母はし
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