に行きたく候。
たった一度おめもじいたしたく候。
本当にお金がほしく候。
[#ここで字下げ終わり]

 手紙を書いてみるがどうにもならぬ。あのひとにはもうお嫁さんがあるのだ。ただ、なぐさみに歌の文句を書いてみるだけ。
 夜。
 眠れないので、電気をつけて、ぼろぼろのユジン・オニイルを読む。家主の大工さんが、夜どおし、ろくろをまわして、玩具《おもちゃ》のコマをつくっている。どのひとも、夜も日もなく働かねば食えない世の中なり。蚊がうるさいけれど、蚊帳のない暮しむきなので、皿におがくずを入れていぶす。へやの中がいぶる。それでも蚊がいる。丈夫な蚊だ。うるさい蚊だ。オッカサンに浴衣を買ってやりたいと思うけど仕方がない。

(八月×日)
 爽やかな天気だ。まばゆいばかりの緑の十二社。池のまわりを裸馬をつれた男が通っている。馬がびろうどのような汗をかいている。しいんしいんと蝉が鳴きたてている。
 氷屋の旗がびくともしない。
 オッカサンも私も背中に雑貨を背負って歩いている。全く暑い。東京は暑いところだ。
 新宿までの電車賃をけんやくして、鳴子坂の三好野で焼団子を五|串《くし》買ってたべる。お茶は何度でもおかわりして、ああ一寸だけしあわせ。
 オニイルは名もない水夫で、放浪ばかりしていて、子供の時は手におえぬ悪童で、大きくなって、ボナゼアリス行きの帆船に乗りこんで粗暴な冒険にみちた生活をしたのだそうだ。偉くなってしまえば、こんな身上話もああそうなのかと思う。私も芝居を書いてみようかな。きそう天外な芝居。それとも涙もなくなる奴。オニイルだって、いつも悲愴《ひそう》な時ばかりではなかったであろう。
 時には鼻唄まじりにいいごきげんな時もあったに違いない。
 よろよろと荷をかついで、小さいべっぴんさんは暑い街を歩く。どうでもいいのだ。もうやぶれかぶれなのだ。はっきりと路の上にうつした影はひきがえるのように這《は》っている。
 哀れなオッカサンが何故《なぜ》私を生んだのだろう。私生児と云う事はどうでもいい事だけれど、オッカサンには罪はない。何の咎《とが》める事があろう。世界のどこかのおきさきさまだって私生児を生む事もある。世の中と云うものはそんなものだ。女は子供をうむために生きている。むずかしい手つづきをふむことなんか考えてはいない。男のひとが好きだから身をまかせてしまうきりなのだ。
 神楽坂の床屋さんで水をのませて貰う。
 今日は縁日で夕方から賑やかなのだそうだ。
 きれいな芸者が沢山歩いている。しのぶ売りも金魚屋も出ている。今日は水中花を売るおばさんの隣りに場所割りがきまる。
 店を出して、私は雨傘を出してゴザの上に坐る。何とも暑い夕陽だ。夕陽は何処から来るのだろう。じりじりと照りつけるなぎ[#「なぎ」に傍点]のような暑さ。人通りが馬鹿に多いけれど、パンツも沓下《くつした》もステテコもなかなか売れそうにもない。オッカサンは下谷までお使い。
 市松の紙の屋根を張った虫売りが前の金物屋の店さきに出た。じょうさい屋が通る。
 みがきこんだおかもち[#「おかもち」に傍点]をさげたてぬぐい浴衣の男が、自転車に片足かけて坂をすべってゆく。
 華やかな町の姿だ。一人だって、雨傘をさしてしゃがんでいる女には気にもとめない。

[#ここから2字下げ]
おえんまさまの舌は一丈
まっかな夕陽
煮えるような空気の底

哀しみのしみこんだ鼻のかたち
その向うに発射する一つのきらめき
別に生きようとも思わぬ
たださらさらと邪魔にならぬような生存

おぼつかない冥土《めいど》の細道から
あるかなきかのけぶり けぶり
推察するようなただよいもなく
私の青春は朽ちて灰になる、

本当の事を云って下さい
只それが知りたいだけだ
人非人と同様の土ぼこりの中に
視力の近い虹《にじ》の世界が
いっぱい蝸牛《かたつむり》をふりおとしている
一つ一つ転げおちて草の葉の露と化して
茫《ぼう》の世界に消えてゆく
悪企みは何もないもろい生き方
血と匂いを持たぬ蝸牛の世界

ああ夢の世界よ
夢の世のぜいたくな人達を呪《のろ》う
何のきっかけもない暑い夕陽の怖ろしさ。
[#ここで字下げ終わり]

 私はぱりぱりに乾いてゆく傘の下で、じいっと赤い夕陽を眺めていた。

        *

(九月×日)
 飲食店にはいって、ふっと、箸立《はした》ての汚ない箸のたばを見ると、私には卑しいものしかないのを感じる。人の舌に触れた、はげちょろけの箸を二本抜いて、それで丼飯《どんぶりめし》を食べる。まるで犬のような姿だ。汚ないとも思わなくなってしまっている。人類も何もあったものではない。只、モウレツに美味《うま》いと云う感覚だけで鰯《いわし》の焼いたのにかぶりつく。小皿のなかの水びたしの菜っぱの香々。
 いつまでも私は不安だ。卑しくて犬のように這いずりまわっているくせに、もう、死んでしまいたいと思うくせに、誰かをだましてやろうと思っているくせに、私には何の力もない。袖口も、襟《えり》もとも垢《あか》でぴかぴか光っている。いっそ裸で歩きたい位だ。
 食堂を出て動坂《どうざか》の講談社に行く。おんぼろぼろの板塀《いたべい》のなかにひしめく人の群をみていると、妙にはいりそびれてしまう。講談社と云うところはのみの巣のようだと思う。文明も何もない。只、汚ないぼろぼろの長い板塀にかこまれている。昨夜一晩で書きあげた鳥追い女と云う原稿が金に替るとは思われなくなってくる。浪六《なみろく》さんのようなものを書くにはよほど縁の遠い話だ。
 私はねえ、下宿料が払えないのよ。この二三日、遠慮して下宿の御飯をなるべく食べないようにしているのよ。講談なんて書けもしないくせに、浪六さんを手本にして、眼を真赤にして書いてみたけれど、結局は一文にもならぬ。赤い郵便自動車が行く。とても幸福そうだ。あのなかには、沢山沢山為替がはいっているに違いない。何処から誰に送る為替か知らないけれど、一枚や二枚、ひらひらと舞い落ちて来ないものかしら。
 小石川の博文館へ行く。
 どうれと、玄関番が出て来そうだ。おばけ屋敷のようだ。田舎医者の待合室みたいな畳敷きの待合室に通される。いかにも疲れたような人達が思い思いに待っている。そのひとたちがじろじろと私を見ている。まるで子守っ子のような肩あげのある私を不思議そうに見ている。まさか鳥追い女と云う講談を書いているとは思うまい。
 私は一葉《いちよう》と云う名前がとてつもなく気に入っている。尾崎紅葉もいい。小栗風葉もいい。みんな偉いひとには「葉」の字がつくので、私も講談を書くときは五葉位にしてみようかと考えた。色あせた夏羽織を着た背の高いひとが出て来た。私は胸がどきどきしてくる。来なければよかったと思う。
 いずれ見てからお返事をしますと云う事で、私のみっともない原稿はみもしらぬ人の手に渡ってしまった。急いで博文館を出て、深呼吸をする。これでもまだ私は生きてるのだからね。あんまりいじめないで下さい。神様! 私は本当は男なんかどうでもいいのよ。お金がほしくってたまらないのよ。高利貸と云う人間はどこの町に住んでいるのだろう。植物園のなかにはいって行く。
 きれいな夕陽。つるべ落しの空あい。私もはずみを食ってまっさかさま。憂鬱な空想の花火。ああ講談なんて馬鹿なことを考えたものだ。
 木蔭《こかげ》で、麦藁《むぎわら》帽をかぶった、年をとった女のひとが油絵を描いている。仲々うまいものだ。しばらく見とれている。芳烈な油の匂いがする。このひとは満足に食べられるのかしら。芝生に子供が遊んでいる絵だ。四囲には人っ子一人いないけれど、絵のなかでは、二人の子供がしゃがんでいる。絵描きになりたいと思う。
 白い萩《はぎ》の花の咲いているところで横になる。草をむしりながら噛《か》んでみる。何となくつつましい幸福を感じる。夕陽がだんだん燃えたって来る。
 不幸とか、幸福とか、考えた事もない暮しだけれど、この瞬間は一寸いいなと思う。しみじみと草に腹這っていると、眼尻に涙が溢《あふ》れて来る。何の思いもない、水みたいなものだけれど、涙が出て来るといやに孤独な気持ちになって来る。こうした生きかたも、大して苦労には思わないのだけれど、下宿料が払えないと云う事だけはどうにも苦しい。無限に空があるくせに、人間だけがあくせくしている。
 夕焼の燃えてゆく空の奇蹟《きせき》がありながら、ささやかな人間の生きかたに何の奇蹟もないと云うことはかなしい。別れた男の事をふっと考えてみる。憎い奴だと思った事もあったけれど、いまはそうでもない。憎いと思うところはみんな忘れてしまった。
 いまは眼の前に、なまめかしい、白い萩が咲いているけれど、いまに冬が来れば、この花も茎もがらがらに枯れてしまう。ざまをみろだ。男と女の間柄もそんなものなのでしょう。不如帰《ほととぎす》の浪子さんが千年も万年も生きたいなんて云ってるけれど、あまりに人の世を御ぞんじないと云うものだ。花は一年で枯れてゆくのに、人間は五十年も御長命だ。ああいやな事だ。
 私は天皇さまにジキソをしてみる空想をする。ふっと私をごらんになって、馬鹿に私が気に入って、いっしょにいいところにおいでとおっしゃるような夢をみる。夢は人間とっておきの自由だ。天皇さまに冷酒とがんもどきのおでんをさしあげたら、うまいものだねとおっしゃるに違いない。私はなぜ日本に生れたのだろう。シチリヤ人と云うのがあるそうだ。音楽が大変好きなのだそうだ。私はシチリヤ人がどんな人種なのか見たことがない。
 不意にカナカナが啼きたてた。夕焼がだんだん妙な風に蒼《あお》ずんで来ている。

(九月×日)
 夜が明けかけて来たけれど、どうにもならない。
 昨夜は蒲団を売る事にきめて安心して眠ったのだけれど、こう涼しくては蒲団を売るわけにもゆかない。葛西《かさい》善蔵と云うひとの小説みたいにどうにもならなくなりそうだ。私は別に酒が飲みたいよく[#「よく」に傍点]もないけれど、生きようがないではありませんか。
 らっきょうと、甘いうずら豆が食べたい。キハツ油も買いたい。朝がえりの学生があると見えて、スリッパを鳴らして二階へ上ってゆく足音がする。ここから吉原まではさほどの道のりでもあるまい。吉原では女をいくら位で買ってくれるものかと思案してみる。
 さて、朝になれば、いよいよまた活動出発の用意。雀がよく鳴いている。上々の天気。硝子《ガラス》窓から柿の葉が覗《のぞ》いている。台所の方で小さい唄声がきこえる。私はふっと思いついて、この下宿の女中になれぬものかと思う。客部屋から女中部屋に転落してゆくだけだ。給料はいらない。ただ食べさせてもらって雨露をしのげればいい。この部屋の先住の英文科の帝大生が壁にナイフで落書をしている。エデンの園とは? 私も知らない。この気取りやさんは、落第をして郷里に戻って行ったのだそうだけれども、私には戻ってゆく故郷もない。
 ダダイズムの詩と云うのが流行《はや》っている。つまらない子供だましみたいな詩。言葉のあそび。血が流れていない。捨身で正直なことが云えない。只、やぶれかぶれだけ。だから私も作ってみようと眼をつぶって、蝙蝠傘《こうもりがさ》と烏《からす》と云う詩をつくってみる。眼をつぶっていると、黒いものからぱっぱっと聯想《れんそう》がとぶ。おかしなことばかり考える。まず、第一に匂いの思い出が来る。それから水っぽい涙が鼻をならしに来る。わにに喰いつかれたような、声も出ない悲鳴が出て来る。私の乳房が千貫の重さで、うどん粉の山のようにのしかかっている。手の爪に白い星が出ている。いい事があるのだそうだけれど信じない。シーツなぞ長いこと敷いたことのない敷蒲団に、私はなまぐさく寝ている。これが本当のエデンの園です。蒲団は芝居ののぼりでつくった、まことにしみじみとするカンヴァスベッド。

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感化院出の誰の誰
許して下さいと云う言葉を日にいくど
頂戴とか下さいとか
雨のなかに立って物乞う姿
不安な呻吟《しんぎん》
世の誰と
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