と私、バラックの女給部屋には、重い潮風が窓から吹きこんでくる。
「ね、東京にかえりたくなったわ。」
 お君さんは子供の事を思い出したのか、手拭で顔をふきながら、大きい束髪に風を入れていた。――ここのマダム・ロアは、独逸《ドイツ》人で、御亭主は東京に独逸ビールのオフィスを持っている人だった。何時《いつ》も土曜日には帰って来るのだそうである。一度チラとやせた背の高い姿を見たきり。マダム・ロアは、古風なスカートのように肥って沈黙った女だった。私はお君さんの御亭主の紹介で来たものの、ここはあまり収入もないのだ。コックも日本人なので、外人客は料理は食べないで、いつもビールばかり呑んで行った。
「私、あんたんとこの人に紹介されて来たので、本当は東京へ帰りたいんだけれど、遠慮をしていたのよ。」
「浜へ行ったら金になるなんて云って、結局はあの女と一緒になりたかったからでしょうよ。」
 お君さんの御亭主は、お君さんと親子ほども年が違っているのに妾《めかけ》を持っていた。
「実際、私達は男の為めに苦労して生きてるようなものなのね。」
 お君さんは波止場の青い灯を見ながら、着物もぬがないでぼんやり部屋に立っ
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