も大勢の頭の後から新聞をのぞきこんだ。
――灘《なだ》の酒造家より、お取引先に限り、酒荷船に大阪まで無料にてお乗せいたします。定員五十名。
何と云う素晴らしい文字だろう。ああ私の胸は嬉しさではち切れそうだった。私の胸は空想でふくらんだ。酒屋でなくったってかまうものかと思った。
旅へ出よう。美しい旅の古里へ帰ろう。海を見て来よう――。
私は二枚ばかりの単衣《ひとえ》を風呂敷に包むと、それを帯の上に背負って、それこそ飄然《ひょうぜん》と、誰にも沈黙《だま》って下宿を出てしまった。万世《まんせい》橋から乗合の荷馬車に乗って、まるでこわれた羽子板のようにガックンガックン首を振りながら長い事芝浦までゆられて行った。道中費、金七十銭也。高いような、安いような気持ちだった。何だか馬車を降りた時は、お尻が痺《しび》れてしまっていた。すいとん――うであずき――おこわ――果物――こうした、ごみごみと埃をあびた露店の前を通って行くと、肥料くさい匂いがぷんぷんしていて、芝浦の築港には鴎《かもめ》のように白い水兵達が群れていた。
「灘の酒船の出るところはどこでしょうか?」と人にきくと、ボートのいっぱい並
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