だ。ああなつかしい世界である。
(十月×日)
風が吹いている。
夜明近く水色の細い蛇が、スイスイと地を這《は》っている夢を見た。それにとき[#「とき」に傍点]色の腰紐が結ばれていて、妙に起るときから胸さわぎがして仕方がない。素敵に楽しい事があるような気がする。朝の掃除がすんで、じっと鏡を見ていると、蒼《あお》くむくんだ顔は、生活に疲れ荒《す》さんで、私はああと長い溜息《ためいき》をついた。壁の中にでもはいってしまいたかった。今朝も泥のような味噌汁と残り飯かと思うと、支那そばでも食べたいなあと思う。私は何も塗らないぼんやりとした自分の顔を見ていると、急に焦々《いらいら》してきて、唇に紅々《あかあか》とべにを引いてみた。――あの人はどうしているかしら、切れ掛った鎖をそっと掴《つか》もうとしたけれども、お前達はやっぱり風景の中の並樹だよ……神経衰弱になったのか、何枚も皿を持つ事が恐ろしくなっている。
のれん[#「のれん」に傍点]越しにすがすがしい三和土《たたき》の上の盛塩を見ていると、女学生の群に蹴飛《けと》ばされて、さっと散っては山がずるずるとひくくなって行っている。私がこの家に来
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