れだけの事だ。名もなき女のいびつな片言。どんな道をたどれば花袋《かたい》になり、春月になれるものだろうか、写真屋のような小説がいいのだそうだ。あるものをあるがままに、おかしな世の中なり。たまには虹も見えると云う小説や詩は駄目なのかもしれない。食えないから虹を見るのだ。何もないから、天皇さんの馬車へ近よりたくもなろう。陳列箱にふかしたてのパンがある。誰の胃袋へはいるだろう。
 裸でころがっているといい気持ちだ。蚊にさされても平気で、私はうとうと二十年もさきの事を空想する。それでも、まだ何ともならないで、行商のしつづけ。子供の五六人も産んで、亭主はどんな男であろうか。働きもので、とにかく、毎日の御飯にことかかぬひとであれば倖《さいわい》なり。
 あんまり蚊にさされるので、また、汗くさいちぢみに手を通して、畳に海老《えび》のようにまるまって紙に向う。何も書く事がないくせに、いろんな文字が頭にきらめきわたる。二銭銅貨と云う題で詩を書く。

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青いカビのはえた二銭銅貨よ
牛小舎の前でひらった二銭銅貨
大きくて重くてなめると甘い
蛇がまがりくねっている模様
明治三十四年生れの刻印
遠い昔だね
私はまだ生れてもいない。

ああとても倖せな手ざわり
何でも買える触感
うす皮まんじゅうも買える
大きな飴玉が四ツね
灰で磨いてぴかぴか光らせて
歴史のあか[#「あか」に傍点]を落して
じいっと私は掌に置いて眺める

まるで金貨のようだ
ぴかぴか光る二銭銅貨
文ちんにしてみたり
裸のへその上にのせてみたり
仲良く遊んでくれる二銭銅貨よ。
[#ここで字下げ終わり]



底本:「新版 放浪記」新潮文庫、新潮社
   1979(昭和54)年9月30日初版発行
   1983(昭和58)年7月30日9刷
底本の親本:「林芙美子作品集第一巻」新潮社
   1955(昭和30)年12月初版発行
初出:「女人藝術」
   1928(昭和3)年10月号〜1930(昭和5)年10月号
※底本の二重山括弧は、ルビ記号と重複するため、学術記号の「≪」(非常に小さい、2−67)と「≫」(非常に大きい、2−68)に代えて入力しました。
入力:任天堂株式会社
校正:松永正敏
2008年6月8日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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