大宮の町へ行って銭湯にはいりたくなった。下駄をぬぐと、鼻緒のところをのこして、象の足のように汚れた足。若い女の足とも思えぬ。爪はのび放題。指のまたにごみ[#「ごみ」に傍点]がたまっている。私も用を達しに行く。股《また》の中へすうすうと風がはいって来る。裸の脚はいい気持ちだ。ふとってふとって、まず、この両の腿《もも》で五|貫匁《かんめ》というところかな。眼の下を自転車が走ってゆく。玄米パンのほやほや売りだ。私が股を拡げているのも気がつかないで、玉転がしのように往かんを走って行ってしまった。草が濡れてゆく。
 また、背中を汽車が来る。地響きが足の裏にぶきみだ。
 大宮の町へ出たのは三時。どおんと暑い。八百屋の店先きに胡瓜の山。美味《うま》そうなのを二本買って、母と二人で噛《かじ》る。塩があればもっと美味いだろう。二人で、手分けして、両側を軒並みに声をかけて行く。
「クレップの襯衣《シャツ》と、すててこ[#「すててこ」に傍点]はいりませんか、お安くしときますけどね」
 何処も返事もしてくれない。母が建具屋さんの店先きに腰を掛けている。何か買ってくれるらしい。三十軒も歩いた。やっと、製材所で見せてみなと云われる。
 ねじり鉢巻きの男が三人、汗を拭きながら寄って来る。私は手早く材木の上へ荷物をひろげた。おが屑《くず》の匂いが涼しい。
「大阪から仕入れてるんでとても安いんですよ。輸出の残りなンですよ」
「ねえさんは、美味そうにふとってるな。旦那もちかい?」
 私は心のうちでえっへ、と笑う。何持ちなんだか、さっぱり自分で自分の生態がわからないですとね。上下三円五十銭を五十銭もまけさせられて、三組売る。一寸《ちょっと》、神様に感謝する。犬も歩けば棒にあたるだ。また荷を背負って町角を曲る。お母さんは影もかたちも見えぬ。どうせ大宮の駅で逢えばいいのだ。
 大宮は少しも面白くない町なり。
 東京へ戻ったのが七時頃。雨が降っていた。
 ざんざ降りのなかを金魚のようにゆられて川添いに戻る。今日は十五日。豆ローソクのお光りをあげる。蛙《かえる》が啼いている。炭がないので、近所の炭屋で一山二十銭の炭を買って来て飯を焚く。隣りの駄菓子屋の二階の学生が大正琴《たいしょうごと》をかきならしている。何処からともなく蕎麦《そば》のだし[#「だし」に傍点]を煮出している匂いがする。胃袋がぶるぶる顫《ふる》えて仕方がない。この世の中に奇蹟《きせき》はないのだ。皇族に生れて来なかったのが身のあやまり……。私は総理大臣にラブレターを出してみようかと思う。夜、ゴオゴリの鼻を読む。鼻が外套《がいとう》を着てさすらってゆく。そして、しょうことなく、だらしなく読者に媚《こび》を呈して、嘘をとりまぜた考えが虚空に消えてゆく。
 苦しめば苦しむほど、生甲斐のある何かだ。吻《ほっ》とする人生を得たいために、時には厭なこともやりかねない。このままな無頓着ではいられない。私にだって、そんな馬鹿馬鹿しい程の時がめぐって来るのだろうか……。このまま何でもなく通りすぎる貧窮のつづきかな。金さえあれば、もっと、どうにかなるのか、浅はかな世の中だ。――その癖、何を考えているのか。自分で自分がさっぱり判らない。正直で誠実で、人情深くて、それが貧乏人のけち[#「けち」に傍点]な根性さね……。何もないから、せめて正直で、おずおずして、銭勘定ばかりしている。隣りの大学生は大正琴を弾きながら、親から金が送って来て、肉屋の女と恋をしている。結構な生れあわせだ。
 上月の夜に小菜《こな》の汁に米の飯、べんけいさんは理想が小さい。ねえ、それなのに、私はべんけいさんの理想も途方もないぜいたくに思ってます。他人さまとは縁も由縁《ゆかり》もないのよ。私は私こっきりの生きかた。五貫匁もある重い腿をぶらさげて、時には男の事も考える。誰かいいひとはいないかしら、せめて、十日も満足に食わせてくれる男はいないものかと考える。だって、ねえ、こんなに貧乏して、躯《からだ》じゅうをのみ[#「のみ」に傍点]に食わしているンじゃアやりきれない。全く、私は生れなきゃよかった部類の女なンだから……。私は馬と夫婦になったっていいと思う。全く邪魔っけな重たい躯なンて不用そのもの、鼻だけで歩きたい位のものだ。ゴオゴリもこんな気持ちで長ったらしい小説なんかでかきくどいたのに違いない。

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何時寝るともなく
静かに眠り夢をみる
ただ食べる夢男の夢
特別残酷な笑い事の夢
耳の奥で調子を取る慾
びいんびいんと弓を鳴らす
茶碗つぎの中国人の夢

走って行って追いかえされて
けろりとして烏《からす》のように啼く
太々しいくせに時には泣きたくなる
咬《か》み傷一つ誰にもつけた事のない
よぼよぼの鼠のくりごと
畸形《きけい》で、男と寝たがる意
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