は云うのよ。死ねばいいの? 生きてどうしようもない風に追いこむなんてつれないではございませんか! 追込み部屋の暗い六畳の部屋。まず、ごみ箱のような匂いがする。がいこつのようなよぼよぼの爺さんが一人と、四人の女。私だけが肩あげをして若い。只、若いと云うのは名ばかり。女の値打ちなぞ一向にありませんとね……。一升ばかり飲んで酔っぱらって、雪の街を裸で歩いてみたいものだ……。ええ飲まして下さるなら、一升でも二升でも飲んでみせます。
 私は、じいっと台の上の豆らんぷを頼りに、自分の詩を読んでみる。
 みんな本当の、はらわたをつかみ出しそうな事を書いているのに一銭にもならない。どんな事を書けば金になるのだッ。もう、殴る事なンかしない優しい男はいないのだろうか? 下手くそな字で、何がどうしたとか書いたところで、誰もああそうなのと云ってくれる者は一人もない。
 鯖《さば》のくさったのを食べてげろ[#「げろ」に傍点]を吐いたようなもンだ……。おっかさんは私に抱きついてすやすやおやすみだ。時々、雪風が硝子戸に叩きつけている。シナそば屋のチャルメラの音色がかすかにしている。ものを書いてみようなぞとは不思議せんばん。お前のようなうすのろに何が出来るのだ。
 明日は場末のカフエーにでも住み込んで、まずたらふくおまんまを食べなければならぬ。まず食べる事。それから、いくばくかの金をつくる事。拷問! 拷問! 私にもそれ位の生きる権利はあろう……。
 みんなしたり顔で生きている。
 お爺さんが起きて、煙管で煙草を吸いはじめた。寒くておちおち眠っていられないとこぼしている。問わずがたりのお爺さんの話。二日ほど前までは四谷の喜よしと云う寄席の下足番をしていたのだそうだ。心がけが悪くて子供は一人もない由なり。時には養老院にはいる事も考えるけれど、何と云ってもしゃば[#「しゃば」に傍点]の愉しみはこたえられぬ。一日や二日は食わいでも、しゃばの苦労は愉しみだと爺さんが面白い事を云う。もう六十五歳だそうだ。私の半生はあんけんさつ[#「あんけんさつ」に傍点]続きで、芽の出ないずくめだと笑っていた。あんけんさつとは何なのか判らん。卑劣な生きかたとは違うらしい。さしずめ、私達はさんりんぼう[#「さんりんぼう」に傍点]の続きをやっていると云うものだろう。毎日、心の中で助けてくれッ、助けてようと唄のように唸《うな》ってばかりいる。電気ブランを飲んでるような唸りかたなり。
「お爺さん、玉の井って知ってる?」
「ああ知ってるよ」
「前借さしてくれるかしら?」
「ああ、それゃアさしてくれるねえ」
「私のようなものにもさしてくれるかしら?」
「ああ、さしてくれるとも……お前さん行く気かい?」
「行ってもいいと思ってるのよ。死ぬよりはましだもン」
 爺さんは両手で禿《は》げた頭を抱えこむようにさすりながら黙っていた。

(一月×日)
 からりとした上天気。眼もくらむような光った雪景色。四十年配のいちょうがえしの女が、寝床に坐ってバットを美味《おい》しそうに吸っている。敷布もない木綿の敷蒲団が垢光《あかびかり》に光っている。新聞紙を張った壁。飴色《あめいろ》の坊主畳。天井はしみだらけ。樋《とい》を流れる雪解け。じいっと耳を澄ましていると、ととん、とんとん、ととんと初午《はつうま》のたいこ[#「たいこ」に傍点]のような雪解けの音がしている。皆は起き出してそれぞれ旅人の身づくろい。私は窓を開けて屋根の雪をつかんで顔を洗った。レートクリームをつけて、水紅を頬へ日の丸のようになすりつける。髪にはさか毛をたてて、まるでまんじゅうのような耳かくしにゆう。耳がかゆくて気持ちが悪い。
 烏《からす》が啼《な》いている。省線がごうごうと響いている。朝の旭町《あさひまち》はまるでどろんこのびちゃびちゃな街だ。それでも、みんな生きていて、旅立ちを考えている貧しい街。
 私のそばに寝た三十年配の女は、銀の時計を持っている。昔はいい暮しをしていたと昨夜も何度か話していたけれど、紫のべっちん足袋は泥だらけだ。
 役にもたたぬ風呂敷包みを私達は三つも持っている。別にどうと云うあてもなく、多摩川を逃げ出して来て、この木賃宿だけが楽天地のパレルモなり。
 洋々たり万里の輝《ひか》りだ。曖昧《あいまい》なものは何一つない。只、雪解けの泥々道を行く気持ちが心に重たい。痩《や》せた十字架の電信柱が陽に光っている。堕落するには都合のいい道づればかりだ。裸の生活はあきあきした。華族さんの自動車にでもぶちあたって、おお近うよれと云うようなしぎ[#「しぎ」に傍点]には到らぬものか。若いと云う事は淋しい事だ。若いと云う事は大した事でもないのだもの……。私の手はまんじゅうのようにふくれあがっている。短い指のつけ根にえくぼがある。女学校のころ、デ
前へ 次へ
全133ページ中109ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 芙美子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング