に行っている。
野村さんと握り飯を分けあって食べる。三角の月とか星とかの詩を読んでくれたけれども、さっぱり判らない。詩を書くには泣くことも笑うことも正直でなければならない。貧乏してまで言葉の嘘を書く必要はない。白秋が好きだと云ったら野村さんは笑った。白秋は溺《おぼ》れる詩人。人にうたわれる詩人だ。雀の好きな詩人。みみずくの家を持った詩人。九州の土から生れた詩人。
十二時ごろ、恭ちゃんのところへ行くと云って野村さんまた尻からげで帰る。そっと襖を開けて廊下をうかがうあたり、うれしくなってしまう。馬鹿に脚の白いひとなり。
(十月×日)
渋谷の百軒店《ひゃっけんだな》のウーロン茶をのませる家で、詩の展覧会なり。
ドン・ザッキと云う面白い人物にあう。おかっぱで、椅子の間を踊り歩く。紙がないので、新聞紙に詩を書いて張る。
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おそれながら申しあげます
わたしはただ息をしている女
百万円よりも五十銭しか知らない
牛めしは十銭
葱《ねぎ》と犬の肉がはいってるのね
小さくてだるまみたいで
よく泣いているおこりんぼ。
いいえもういいのよ
男なんかどうでもいいの
抱きあって寝るだけのこと
十五銭のコップ酒
皿においてるけど
馬鹿に尻だかで世間をごまかす
酔えばいい気持ち
千も万も唄いたくなるのよ。
いずくにか
わがふるさとはなきものか
葡萄《ぶどう》の棚下に寄りそいて
寄りそいて
一房の青き実をはみ
君と語ろう ひねもす
ひねもす……。
[#ここで字下げ終わり]
かえり十時。道玄坂の古本屋で、イバニエスのメイ・フラワア号を買う。四十銭也。駅の近くの居酒屋で赤松月船と酒を飲む。昆布巻き二つとコップ酒。馬鹿に勇ましくなる。
下宿へ御きかん十二時。森とした玄関に大きい金庫が坐っている。あの中に何かあるのだろう。洗面所へ行って水を飲む。冷々としている。こおろぎがないている。ふっとつまらなくなる。一日一日が無為なり。いったいどうなるのか判らぬ。一度、田舎へかえりたいと思う。下宿を出る必要がある。夜逃げをするには、逃げこむさきを考えねばならぬ。
寝ころんで、メイ・フラワア号を読む。破船の酒場が馬鹿に気に入った。
(十月×日)
詩人は共喰いの共産党だ。持ってるものは平等につかう。借金もそれ相当なもの。手近な目的はただ食べる事に追われるばっかり。人命|終熄《しゅうそく》の一歩手前でうろうろしているばかりなり。天才は一人もいない。自分だけが天才と思っているからよ。それ故、私たちはダダイスト。只何となく感じやすく、激しやすく、信念を口にしやすい。何もないくせに、まずここんところから出発してゆくより仕方がない。
風が吹くので、いろいろな男のことを考える。誰のところに逃げこんで行ったらいいのかと考える。だけど考える事は何もならない。勇気だけだ。何しろ、相手を驚かせる戦術なのだからはずかしい。またマンドリンがきこえて来る。籠の鳥の方がよっぽど羨《うらや》ましい。ああ狂人になりそうだ。
こんなに童話を書き、講談を書いても一銭にもならないなんて。インキだって金がかかるのよ。
昼から風の中を仕事さがしに歩く。
何もない。人があまっている。美人はざくざく。只若いだけではどうにもならない。神田の古本屋でイバニエスを売る。二十銭にうれる。四十銭が二十銭に下落してしまった。九段下の野々宮写真館のとなりの造花問屋で女工募集をしている。何しろ手さきが不器用だから……薔薇《ばら》もチュウリップもまちがえて造りそうだ。日給八十銭は悪くない。不安の前には妙に嘔気《はきけ》が来る。嘔くものもない妙な不安な状態。やすくに神社はあらたか。まずていねいにおじぎをして一口坂の方へ歩く。
あまてらすおおみかみの頃には、こんなに人もあまってはいなかったのだろう。美人もうようよいなかったのだろう。あまてらすおおみかみさまは裸で岩戸からのぞいておいでになる。かがみや、たまや、みつるぎは、どこでおもとめになったのか不思議だ。にわとりはどこで生れたのだろう。ああ昔はよかったに違いない。
そのじせつになるとちゃんと秋の風が吹く。魚屋はみとれるほどの美しさ。しけ[#「しけ」に傍点]であろうと嵐であろうと、魚は陸へどしどしあがって来る。胸に黄いろいあばらのついた軍服で、近衛《このえ》の騎馬隊が、三角の旗を立てて風の中を走ってゆく。馬も食っている。騎馬隊の兵隊さんも食っているのだ。何処かで琴の音がしている。豆腐屋では大鍋いっぱい油をはって油揚げを揚げている。荷車いっぱいにおからをバケツで積みこんでいる人夫がいる。酒屋の店さきの水道の水は出っぱなしで、小僧が一升徳利を洗っている。味噌|樽《だる》がずらりと並び、味の素や福神漬や、牛鑵《ぎゅうかん》がずらりと並んで光ってい
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