好で、女を何とかしようと云うものに、ろく[#「ろく」に傍点]なのはいない。こんなお上品な男の前では、大口をあけて、何かムシャムシャ食べているに限ります。私はうで玉子を卓子の角で割りながら、お由さんと食べる。
「おゆみさんいらっしゃいよ。」
 酔いどれ女の芸当がまた見たいんですか、私は表に出てゆくと、街を吹く秋の風を力いっぱい吸った。エプロンをはずして、私もこの人混の中にはいってみたいと思った。露店が雨のようにならんでいる。
「一寸おたずねしますが、お宅は女給さん入《い》らないでしょうか?」
 昔のスカートのように、いっぱいふくらんだ信玄袋を持った大きい女が、人混から押されて私の前に出て来た。
「さあ、いま四人もいるのですけれど、まだ入ると思いますよ、聞いてあげましょうか、待っていらっしゃい。」
 ドアを押すと、あの男は酔いがまわったのか、お由さんの肩を叩いて言っていた。
「僕はどうも気が弱くてね。」
 御もっとも様でございますよ。――連れて来てごらんと云うお上さんの言葉で、台所からまわって、私は信玄袋の女をまねくと、急に女は泣き出して言った。「私は田舎から出て来たばかりで、初めてなんですが、今晩行くところがないから、どうしてもつかって下さい、一生懸命働きます。」と云っている。うすら冷たい風に、メリンスの単衣《ひとえ》がよれよれになって寒そうだった。どうせ、こんなカフエーなんて、女でありさえすればいいのだもの、この女だって、信玄袋をとれば鏡をみつめ出すにわかっています。
「お上さん、とても店には女がたりないんですからおいてあげて下さいよ。」
 上州生れで、繭《まゆ》のように肥った彼女は、急な裏梯子《うらばしこ》から信玄袋をかついで二階の女給部屋に上って行った。「お蔭様でありがとうございます。」暗がりにうずくまっている女の首が太く白く見えた。
「あなた、いくつ?」
「十八です。」
「まあ若い……」
 女が着物をぬいで不器用な手つきで支度をしているのをそばでじっと見ていると、私は何かしら眼頭が熱くなって来た。ああ暗がりって、どうしてこんなにいいものなのだろう、埃のいっぱいしている暗い燈の下で、唇を毒々しくルウジュで塗った女達が、せいいっぱいな唄をうたっている。おお神様いやなことです。
「ゆみちゃん! あの人がいらっしゃってよ。」
 いつまでもこの暗がりで寝転がっていたいのに、由ちゃんが何か頬ばりながら二階へ上ってきた。新らしくきた女のひとにエプロンを貸してやる。妙にガサガサ荒れた手をしていた。
「私、一度世帯を持った事がありましてね。」
「…………」
「これから一生懸命働きますから、よろしくお願いいたします。」
「ここにいる人達は、皆同じことをして来た人達なんだから、皆同じようにしていりゃいいのよ。場銭《ばせん》が十五銭ね、それから、店のものはこわさないようになさい、三倍位には取られてしまうのよ、それから、この部屋で、お上さんも旦那も、女給もコックも一緒に寝るんだから、その荷物は棚へでもあげておおきなさい。」
「まあこんなせまいところにねるのですか。」
「ええそうなのよ。」
 階下へ降りると、例の男がよろよろ歩いて来て私にいった。
「どっか公休日に遊びに行きませんか!」
「公休日? ホッホホホホ私とどっかへ行くと、とても金がかかりますよ。」
 そうして私は帯を叩いて言ってやった。
「私赤ん坊がいるから当分駄目なんですよ。」

        *

(十二月×日)
「飯田がね、鏝《こて》でなぐったのよ……厭になってしまう……」
 飛びついて来て、まあよく来たわね、と云ってくれるのを楽しみにしていた私は、長い事待たされて、暗い路地の中からしょんぼり出て来たたい[#「たい」に傍点]子さんを見ると、不図《ふと》自動車や行李《こうり》や時ちゃんが何か非常に重荷になってきてしまって、来なければよかったんじゃないかと思えて来た。
「どうしましょうね、今さらあのカフエーに逆もどりも出来ないし、少し廻って来ましょうか、飯田さんも私に会うのはバツが悪いでしょうから……」
「ええ、ではそうしてね。」
 私は運転手の吉さんに行李をかついでもらうと、酒屋の裏口の薬局みたいな上りばなに行李を転がしてもらって、今度は軽々と、時ちゃんと二人で自動車に乗った。
「吉さん! 上野へ連れて行っておくれよ。」
 時ちゃんはぶざまな行李がなくなったので、陽気にはしゃぎながら私の両手を振った。
「大丈夫かしら、たい子さんって人、貴女の親友にしちゃあ、随分冷たい人ね、泊めてくれるかしら……」
「大丈夫よ、あの人はあんな人だから、気にかけないでもいいのよ、大船に乗ったつもりでいらっしゃい。」
 二人はお互に淋しさを噛み殺していた。
「何だか心細くなって来たわね。」
 時ちゃんは淋
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