小遣いは双児美人[#「双児美人」に傍点]の豆本とか、氷|饅頭《まんじゅう》のようなもので消えていた。――間もなく私は小学校へ行くかわりに、須崎町の粟《あわ》おこし工場に、日給二十三銭で通った。その頃、笊《ざる》をさげて買いに行っていた米が、たしか十八銭だったと覚えている。夜は近所の貸本屋から、腕の喜三郎[#「腕の喜三郎」に傍点]や横紙破りの福島正則[#「横紙破りの福島正則」に傍点]、不如帰[#「不如帰」に傍点]、なさぬ仲[#「なさぬ仲」に傍点]、渦巻[#「渦巻」に傍点]などを借りて読んだ。そうした物語の中から何を教ったのだろうか? メデタシ、メデタシの好きな、虫のいい空想と、ヒロイズムとセンチメンタリズムが、海綿のような私の頭をひたしてしまった。私の周囲は朝から晩まで金の話である。私の唯一の理想は、女成金になりたいと云う事だった。雨が何日も降り続いて、父の借りた荷車が雨にさらされると、朝も晩も、かぼちゃ飯で、茶碗を持つのがほんとうに淋しかった。
この木賃宿には、通称シンケイ(神経)と呼んでいる、坑夫上りの狂人が居て、このひとはダイナマイトで飛ばされて馬鹿になった人だと宿の人が云っていた。毎朝早く、町の女達と一緒にトロッコを押しに出かけて行く気立の優しい狂人である。私はこのシンケイによく虱《しらみ》を取ってもらったものだ。彼は後で支柱夫に出世[#「出世」に傍点]したけれど、外に、島根の方から流れて来ている祭文語《さいもんかた》りの義眼《いれめ》の男や、夫婦者の坑夫が二組、まむし酒を売るテキヤ、親指のない淫売婦、サーカスよりも面白い集団であった。
「トロッコで圧されて指を取った云いよるけんど、嘘ばんた、誰ぞに切られたっとじゃろ……」
馬屋のお上《かみ》さんは、片眼で笑いながら母にこう云っていたものだ。或る日、この指のない淫売婦と私は風呂に行った。ドロドロの苔《こけ》むした暗い風呂場だった。この女は、腹をぐるりと一巻きにして、臍《へそ》のところに朱い舌を出した蛇の文身《いれずみ》をしていた。私は九州で初めてこんな凄《すご》い女を見た。私は子供だったから、しみじみ正視してこの薄青いこわい蛇の文身を見ていたものだ。
木賃宿に泊っている夫婦者は、たいてい自炊で、自炊でない者達も、米を買って来て炊いてもらっていた。
ほうろく[#「ほうろく」に傍点]のように焼けた暑い直
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