、下着の洗濯、これでなかなか楽な生きかたではない。年齢《とし》をとった女中をおくことも時に考えるけれども、いまの女中は十三の時に来て三年いる。私の邪魔にならないので、何が不自由でも、それが一番幸せだと思っている。第一、女中がいてくれるなんて、マノン・レスコオの中の何かの一節にあったけれども、なりあがり者の私としては、はずかしい位なのだ。しかも三年もいてくれている。
 私は、ひとにはなかなか腹をたてないけれども、家ではよく腹をたてて自分で泣きたくなる。その気持ちはどこへも持ってゆきようがないので、机の前に坐り、呆《ぼ》んやりしている。煙草《たばこ》はバットを四、五本吸う。昔、好きなひとがあった頃は、そのひとが煙草がきらいで吸わなかったけれども、いまはそのひとと何でもなくなったので、平気で煙草を吸うようになってしまった。やけ[#「やけ」に傍点]になる気持ちは大変きもちがいい。私は何度もやけ[#「やけ」に傍点]になって、随分むしゃくしゃした昔だったけれども、この頃は日向《ひなた》ぼっこみたいだ。――小説の話は大きらい、説明や批評が少しも出来ないからだろう。ほら、お日様みたいな小説よ位の説明な
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