驚《びつくり》してしまって、それきりな気持ちになってしまっている。
 ひととおり新聞を読み終ると、ちょうど鉄瓶の湯が沸《わ》き始める。もう、この時間が私には天国のようで、眼鏡《めがね》に息をかけてやり、なめし皮で球を綺麗にみがく。そうして茶を淹《い》れ、机の上の色々なものに触れてみる。「御健在か」と、そう訊《き》いてみる気持ちなのだ。ペンは万年筆を使っている。インキは丸善のアテナインキ。三合《さんごう》位はいっている大きい瓶《びん》のを買って来て、愉《たの》しみに器《うつわ》へうつしてつかう。二年位あるような気がする。原稿用紙の前には小さい手鏡を置いて、時々舌を出したり、眼をぐるぐるまわして遊ぶ。だけど、長いものを書き始めると、この鏡は邪魔になって、いつも寝床《ねどこ》の上へほうり投げてしまう。机の上には、何だか知らないけれども雑誌と本でいっぱいになって、ろくろく花を置くことも出来ない。唐詩選の岩波本がぼろぼろになって、机の上のどこかに載っている。
 九時になっても、お茶を飲んで呆《ぼ》んやりしている。昔の日記を出したりして読む。妙に感心してみたり、妙にくだらなく思ったりする。心の遊び
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