驚《びつくり》してしまって、それきりな気持ちになってしまっている。
ひととおり新聞を読み終ると、ちょうど鉄瓶の湯が沸《わ》き始める。もう、この時間が私には天国のようで、眼鏡《めがね》に息をかけてやり、なめし皮で球を綺麗にみがく。そうして茶を淹《い》れ、机の上の色々なものに触れてみる。「御健在か」と、そう訊《き》いてみる気持ちなのだ。ペンは万年筆を使っている。インキは丸善のアテナインキ。三合《さんごう》位はいっている大きい瓶《びん》のを買って来て、愉《たの》しみに器《うつわ》へうつしてつかう。二年位あるような気がする。原稿用紙の前には小さい手鏡を置いて、時々舌を出したり、眼をぐるぐるまわして遊ぶ。だけど、長いものを書き始めると、この鏡は邪魔になって、いつも寝床《ねどこ》の上へほうり投げてしまう。机の上には、何だか知らないけれども雑誌と本でいっぱいになって、ろくろく花を置くことも出来ない。唐詩選の岩波本がぼろぼろになって、机の上のどこかに載っている。
九時になっても、お茶を飲んで呆《ぼ》んやりしている。昔の日記を出したりして読む。妙に感心してみたり、妙にくだらなく思ったりする。心の遊びが大変なもので、色々な人たちの顔や心を自由に身につけてみる。あの人と夫婦になってみたいなと思うひとがあって、小説を書く前は、他愛のないそんな心の遊びが多い。――十時頃になると、家中のひとたちがおやすみを云いあう。皆が床へつくと、私が怖がりやだから、家中の鍵を見てまわり、台所で夜食の用意をして、それを二階へ持ってあがる。塩昆布と鰹節の削ったのがあれば私は大変機嫌がいいのだ。この頃は寒いので夜を更《ふ》かしていると躯《からだ》にこたえて来て仕方がない。なににこがれて書くうたぞ、でその日暮らし故、それに、やっぱり書くことに苦しくとも愉しいので机の前に坐ってしまう。腰をかける椅子なので、寒くなると、私は椅子の上に何時《いつ》か坐って書いている。書いていて一番|厭《いや》なのは、あふれるような気持ちでありながら、字引を引いて一字の上に何時までも停滞していることが、一番なさけない。私の字引は、学生自習辞典と云うので、これは、私が四国の高松をうろうろしていた時に七拾五銭で買ったもの、もう、ぼろぼろになってしまっている。何度字引を買っても、結局これが楽なので、字が足りないけれどこれを使っている。本当に
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