出来たし、胃が弱くなって、深酒《ふかざけ》をすると、翌《あく》る日は一日台なしになってしまう。それでもすらすら仕事の出来た後は、どんな無理なことも「はいはい」と承知してあげて、酒も愉しく上手に飲む。仕事の後の酒は吾《わ》れながらおいしい。酒は盃のねばる酒がきらい。食べものは何でもたべるけれどもまぐろのお刺身が困る。好きなのはこのわた[#「このわた」に傍点]で熱い御飯だけれど、このわた[#「このわた」に傍点]は高くて困る。お金がはいったら鼻血が出るほどたべてみたいと思う。からすみ[#「からすみ」に傍点]も好きだけれども、これも高い。うに[#「うに」に傍点]はそんなに好きじゃない。塩魚が好き、塩魚を見ると小説を書きたくなる。何か雰囲気があるから好きだ。巴里《パリ》には上手に干した塩魚がなかった。
芝居も活動も子供の時からきらい。母親と女中だけは近所の活動へこまめに出かけて行く。――絵を描くことは私の仕事の二番目で、石油の中で、固くなっている筆を洗っている時は、むずかしい顔をしたことがない。小林秀雄《こぼやしひでお》、永井龍男両氏に、絵をあげる約束をしているので、その絵のことを考えていることは何とも云えない。私は静物はあまりうまくない。素人にしてはのイキ[#「イキ」に傍点]だそうだけれども、その辺がちょうど面白いところで、描いていると、美しい色をつかっている絵描きがうらやましくなって来る。
マチス、モジリアニが好きで、色刷りを時々出して眺めている。この間は、萬鉄五郎《よろずてつごろう》氏の絵を二枚もとめた。萬さんのような仕事をしたいものだと、その絵を見るたびにシゲキさせられるのだけれども、私はなまけもので仕方がない。自分の行末《ゆくすえ》、自分の書くもの、皆々よく判っているけれども、雨か風でもきびしくあたってこないことには、このなまけものは、なかなか腰をあげそうにもないのだ。今年は何も書きたくない。私はいま世界地図を拡げて、印度《インド》へ行く事を計画している。秋頃には、欧洲へ行った時のように、気軽に船出したいものだと思っている。何度でも初旅のような気持ちで、私は随分|方々《ほうぼう》へ行った。貯っているだろうと訊くひともあるが、貯っているのは、宿屋の勘定書き位で、全くもって、その日暮らしなのである。云えば、雌|山羊《やぎ》の乳をしぼれば、他の者が篩《ふるい》をその下
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