事がある。花は枯れてからも風情《ふぜい》のあるもので、曾宮一念《そみやいちねん》氏が、よく枯れた花を描かれるけれども、枯れた花の美しさは、仄々《ほのぼの》としていて旅愁がある。女の枯れたのも、こんなに風情があるといいなと思う。私は三十二歳になったけれども、同年輩の男の友人たちは、みずみずしくってまだ青年だ。武田麟太郎《たけだりんたろう》さん、堀辰雄《ほりたつお》さん、永井龍男《ながいたつお》さん、いずれも花菖蒲《はなあやめ》だ。だけど、女の青春はどうも短かすぎる。――いま、せまい私の机の上に、小さいコップが乗っている。マアガレットや、菜の花や、矢車草や、カアネイションが一本ずつ差してあるが、それに灯火《あかり》のあたっている風情は、花って本当に美しいものだと見とれてしまう。今度生れかわる時は花になって来たいものだ。花だったら三白草《どくだみ》だっていい。
花が好き、その他には、一ヶ月のうち二、三度は汽車へ乗っている。旅が好きで仕方がない。旅の遠さは平気で、歩くことがとても愉しい。この一月は志賀高原へスキーに行った。丸山ヒュッテに泊ったが、幸い紅一点で、雪の山上で私はまるで少女のようにのびのびとしていた。スキーは下手だけれども、暴力的なあの雪を蹴ってゆく気持ちが好きだ。自然と自分とに距離がなくなる。十二沢のゲレンデで、私位よく、勇ましく転んだ者はないと云うことであった。温泉へ這入《はい》ると、躯じゅう青や紫のあざ[#「あざ」に傍点]だらけになっていて、さすがに転びスキーがはずかしかった。
二月は、伊豆の古奈《こな》へ行った。丹那《たんな》トンネルは初めてなので、熱海《あたみ》を出るときから嬉しくて仕方がなかった。八分位かかると聞いたけれども、随分ながいトンネルのような気がした。
熱海の海の色は、ナポリみたいな色をしている。温くて呆んやりしていて、磯《いそ》はマチスの絵にあるような渚《なぎさ》だ。――古奈では白石館と云うのに泊った。ここでは芸者が一時間壱円で、淋しかったのでてるは[#「てるは」に傍点]と云うひとに三時間ほどいて貰った。
三月は上州《じょうしゅう》の方へ行って見たい。旅をしていると、生れて来た幸せを感じるほどだ。家人は、弁当が食べたいからだろうと云う。私は汽車へ乗ると弁当をよく買う。木の匂いがして御飯もおかずもおいしい。汽車へ乗っていると、日頃の倦
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