に落ちついてもう一年になるけれど、海兵団のトロ押しが、とうとう義父の働く最後であったのかも知れない。
 暗雲《やみくも》にヒッパクした故郷からの手紙だ。
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――それで、おまえが、なんとかなれば七円ほど、くめんをして、しきゅう、たのむ、おとっさんも、いたか、いたか、きってくれ、いいよんなはる。せきたんさんで、あらいよっとじゃが、びょういんにいったほうが、よかあんばいのごとある。
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 私は夕飯の済んだ後、与一に故郷からの手紙を見せようと思った。与一は何か考えているのであろう、何となく淋しそうに窓に凭れて唄をうたっていた。その唄の節はひどく秋めいた、憂愁《ゆうしゅう》のこもったものであった。私は何度となく熱い茶を啜《すす》りながら、手紙を出す機会を狙《ねら》っていたが、与一はいつまでもその淋し気な唄を止めなかった。

     十一

 沈黙《だま》って故郷へは送金しよう、――私はそう思って毎日与一の額の繃帯を巻いてやった。
「ちょっとした怪我《けが》でも痛いンだから、これで腕《うで》や脚《あし》を切断するとなると、どんなでしょう?」
「それはもう人生の終りだよ、俺だったら自殺する」
「働かないとなると、生きていても仕様がないからね……」

 与一が、山の聯隊《れんたい》へ出発した日は、空気が灰色になるほど風が激しかった。「まるで春のようだ、気持ちの悪い風だ」誰もそういいながら停車場に集った。
「石油コンロは消してあったかい?」
 与一は、こんな事でもいうより仕方がないといった風に、私の顔を見て笑った。
 奉公袋《ほうこうぶくろ》を提げて下駄《げた》をはいた姿は、まるで新聞屋の集金係りのようで、私はクックッと笑い出して、「火事になった方がいいわ」と、言葉を誤魔化した。
「一人で淋しかったら、診療所の娘でも来てもらうといい」
「大丈夫ですよ、一人の方が気楽でいいから……」
 与一に対して、何となく肉親のような愛情が湧《わ》いた。かつての二人の男に感じなかった甘《あま》さが、妙に私を泪もろくして、私は固く二重|顎《あご》を結んで下を向いた。
「厭ンなっちゃう、まったく……」
 私は甘いものの好きな与一のために、五銭のキャラメルと、バナナの房《ふさ》を新聞に包んで持たせてやった。
「どうせ今晩は宿屋へでも泊《とま》るンでしょう?」

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